ういうわけだろうね、コーヒーは博士ばかりを追駆けまわしたんだ」
「それはそのはずだよ。博士が逃げると、そのうしろに真空ができるんだ。真空ができるということは、そこへコーヒーを吸いよせることになるんだ。ちょうど低気圧の中心へ向って雨雲が寄ってくるようなものだよ」
河合は、そういって説明をした。
「そうかねえ。しかし、張君はえらいね。だって今にデニー博士がコーヒーに追駆けられるだろうということをちゃんと予言しているんだからね」
と山木は、傍でさっきから、にやりにやりと笑っている張少年の方へ振向いた。
「ふふふふ。おそろしいよ、僕は……。僕の予言があたるんなんて、全くおそろしいことだ」
張は、得意と恐怖とをつきまぜて、口をゆがめて笑うのだった。
「デニー博士の将来について張君は三つの予言をしたね。その一つがあたったんだから、残りの二つもきっとあたるに違いない」
ネッドは、目をくるくるさせて、そういった。占いの話になると、彼は誰よりも一番熱心になる。
「何だったけな、あとの二つの予言は……」
山木が首をかしげる。
「第二は世界のどこにも、一つの寝床一つの墓場ももたなくなるだろうというのさ。第三は、博士は心臓を凍らせて、五千年立ちん坊をつづけるだろうというのさ」
ネッドは、よく覚えている。
「そういう予言だったかなあ」
張が、感心していう。占った当人の張は、もうそんなことはきれいに忘れてしまったらしい。
「博士の寝床も墓場もないとは気の毒だ。すると博士は一体どこに寝たらいいんだろう。またどこにお墓をもったらいいんだろうか。その予言のとおりなら、博士はどうすることもできないじゃないか」
と、山木はいう。彼はこのところ張の予言に大変興味をわかせているのだ。
「さあ、どういうことになるか、僕にはわからないね」
ネッドも首を左右に振る。
「博士は心臓を凍らせて五千年も立ちん坊をしていなければならないのだって。いよいよ気の毒な博士だ。しかしなぜ、そんなに永い間立ちん坊をするんだろう。ねえ、張君」
「僕がなにを知るものかね」と張は強くかぶりを振った。
「おやおや、御本尊《ごほんぞん》がしらないんじゃ、誰にもわかるはずがない」
「その時がくれば何もかもわかるんだろう。時はすべてを解決するというからね」
黙っていた河合二郎が、そういった。
探険決意
人工重力装置が働きだしたので、宇宙艇の中でのパイナップルの一片が空中を泳いだり、コーヒーが人を追駆けたりするさわぎはなくなった。
人工重力装置というのは、この宇宙艇の中に特別に重力の場を人間の力で作る器械であった。この器械が働きだすと、すべてのものは地上におけると同じようにどっしり落着いた。これから先、宇宙を進めばいよいよ地球に遠くなるから重力は更に減ってくるわけだ。だからどうしても、この器械が入用である。
もしこの器械がなかったとしたら、艇内ではあらゆるものが机の上や床の上から放れ、空中で入り乱れて大変な混乱を起したことであろう。
人工重力装置が動きだしてから五日目になって、本艇においては非常によろこばしい事件が起った。それは、地上を出発以来、さっぱりいうことを聞かなかったエンジンが、やっと乗組員のいうことを聞くようになったことである。
速度は、ほとんど危険速度まであがっていたが、この日デニー博士以下の技師たちが総がかりで速度を低下させることに成功した。
方向舵も、うまくきくようになった。艇内は生きかえったように明るくなった。誰の顔にも喜びと安心の色が見えた。
四人の少年たちも、これを聞いて、まあよかったと胸をなで下ろした。故障のままで宇宙をとんでいるなんてことは決していい気持のものではなかった。
その日は、地上出発以来の乗組員たちの苦労をねぎらうためとあって、食堂はクリスマスのように飾りたてられ、たいへんな御馳走が出た。そしてそのあとで、デニー博士をはじめ皆が、余興に隠し芸を出して、大笑いに笑った。
楽しい時間が過ぎていった。
会がいよいよ終りに近づいたとき、デニー老博士が立上った。そして重大発言をしたのであった。
「さて諸君。諸君の美しい協力と、不撓不屈の努力とによって、本艇の故障は遂に直ったのであるが、この先、本艇はどんな航路を選ぶべきか、それを只今から諸君に相談したい。それには二つの途がある。一つは地球へ引返すこと、もう一つはこの際火星まで行ってしまうことである。どっちを諸君は望むであろうか」
そういって博士は、一同の顔をぐるっと見まわした。しかし誰も何もいわなかった。
「現在の本艇の位置は、地球と火星とを結ぶ航路の約三分の二を既に突破している。つまりあと三分の一航行すれば火星につくのである。なお、燃料はどっちにしても十分ある。これは本館――いや本艇に予期以上の燃料が蓄えてあったことがわかったので、この点では心配ないと思う。食糧は燃料ほど十分ではなく、いっぱいいっぱいの程度である。だから火星へ直行する場合は、これから当分のうち少し減食しなければならないと思う」
「火星へ行きましょう」
「賛成、ここまで来たんだから火星へ行ってみたい」
「どうせわれわれは火星探険協会員だから、火星へ向って苦労するのは元より覚悟の上です。行きましょう、火星へ」
乗組員たちは皆火星へ行きたがった。地球へ引返したいと申出る者は、只の一人もなかった。
これを見て、デニー老博士は大満足であった。
「では、本艇はこれより火星へ直行することに決める。本日の観測によれば、火星まであと十一日かかると思う。その間に、諸君はかねての研究にもとづき、十分の準備をせられるよう希望する。火星に上陸できるかどうかは、もうすこし先になってみないと決めかねるが、ともかくも明日、上陸後の編成を発表する。何分《なにぶん》にも乗組員の数が少ないから、各人はそれぞれ相当重い役割をつとめなければならない。それは覚悟して置いてもらいましょう」
「何でもやります。どしどし命令して下さい」
「そうだ。これまでに費した研究の結果を、ここで十分に発揮して、火星と地球との交通を開くことに成功したいものだ。諸君、大いにやろうぜ」
「ああ、やるとも、やるとも、地球人類の名誉にかけて、このことは成功させてみせる」
「火星へ一番乗りができたら、僕は火星の上で土になっても悔《く》いないぞ」
乗組員たちは永年火星探険に強い憧れをもち今日まで苦労を積んできた人ばかり、デニー老博士に応えて協力を誓った。そして互に激励しあったのであった。
それ以来、この宇宙艇の中には春のような明るさが流れた。皆々の覚悟はできたのだ。まだ人類の到達したことのない遠大なる目標火星探険へまっしぐらに進んで行くのだ。
四少年たちも同じように、いや大人たちよりもずっと強く、火星を探険することをよろこんでいた。その日彼等は艇の展望台の窓に顔を寄せて、外を眺めた。
暗黒かぎりなき大宇宙の姿よ。なんという巨大なる空間であろうか。その暗黒の中に、諸星はダイヤモンドのようにきらめいていた。また西の方には、満月の十数倍もある大きな地球が輝いていた、あそこから出発したのに違いないが、こうして見ていると嘘のような気がする。その蔭に、月が小さく寄り添っている。
火星はどうしたであろう、見えるであろうか。
展望室をぐるっと廻って反対の窓にでる。あっ見えた。あの真赤な星だ。大きさは、もうお盆ぐらいに見える。あれが火星だ。あの毒々しい色の星に、一体何がまっているのであろうか。
火星の生物
「あいかわらず火星の表面は、ぼんやりと霞んでいるね」
いつのまにきたか、四少年の大好きなマートン技師が、彼等のうしろに立って、同じように展望窓から火星を見て、そういった。
「ああ、マートンさん。火星の表面はなぜあんなにぼんやりしているのですか」
河合少年は、こんなときに誰よりも先に質問したくなるのだった。
「ああ、霞んでいるわけをいいましょうか、あれはね、火星の表面には水蒸気があるからだ。地球だってそうだ。水蒸気があるから雲があって、今日だって大陸の形などよく見えやしない。火星の水蒸気は、地球の水蒸気と比べて二十分の一しかない。その割に、火星の表面がぼんやりしているわけは、もう一つある。それは火星の周囲をかなり夥《おびただ》しい宇宙塵《うちゅうじん》が取巻いているせいだ。宇宙塵てわかるかね」
「何だろうな、ウチュウジンて?」
ネッドが大きい目をぐるっと動かした。
「宇宙塵というのは、宇宙の塵なんだ。つまり星のかけらの小さいのが宇宙塵だ。これが火星の周囲をぐるっと取巻いている。だから火星の表面は一層見えにくいのさ」
マートン技師は自分の説明が少年たちにわかったかどうか心配げな顔である。
「宇宙塵は、なぜ火星のまわりに集まっているんですか」
張少年から質問が飛びだした。
「宇宙塵がなぜ火星を取巻くようになったかという問いだね。ううん、これはむずかしいことだ。いろいろ臆説はあるが、天文学者にもまだ本当のことはわかっていないんだ」
「学者にもわからないことがあるんですか」
ふしぎそうに張はたずねる。
「もちろん、そうさ。学者は世界にたくさんいる。しかしその人たちの説き得た自然科学の謎は、まだほんのわずかだ。これから先何億万年かかっても、その全部はとき切れないだろう。そのように自然科学の奥は深いのだ」
「そんなに永いことかかっても、わからないもんですかねえ」
河合少年は小首をかしげる。
「そんなに永いことかかってもわからないことを、今こつこつ一生けんめいにやっている学者なんておかしいですね。一人の学者の寿命は百年とまで永くないのに……」
ネッドが笑った。が、マートン技師は、これに応えていった。
「そうじゃない。そんなに永くかからなければわからない大仕事だから、学者たちは責任がたいへん重いのだ。そして一日でも一時間でも早く自然科学の謎をとかねばならぬと、一所けんめいに努力しているんだ。本当に、尊い人たちだといわなければならない」
マートン技師はそういって、非常にまじめな顔をした。
その日をはじめとし、少年たちは毎日一度展望室へ入って、大宇宙をのぞくことにした。そこから見える大宇宙は、いつも暗黒で無数の星がきらめいていることに変りがなく、別に夜が明けるわけでもなく、変化にとぼしい眺めであった。だが少年たちは必ずこの部屋へ入った。彼等の見たいと思うものは、第一に、遠去かり行くなつかしい地球の姿、第二に、だんだん近づく火星の様子であった。
「河合君。あと二日でいよいよ宇宙塵の間を本艇が抜けるそうだよ。本艇はそのとき穴だらけになっちまいやしないだろうか」
「なあに大丈夫だろう。デニー先生もマートンさんも平気な顔をしているもの」
「そうかしら……それから君は、火星には人間が住んでいると思うかい」
「人間かどうかしらんが、生物はいると思うね、張君」
「生物? その生物は、僕たちを見たとき、どうしようと思うだろうね」
「どうしようというと、どんなこと?」
「つまり火星のライオンかゴリラかが、僕たちの顔を見たとき、これは珍らしい御馳走が来たぞ、早速たべちまおうかな、などということになりやしないかね」
「さあ、それはわからないね、マートンさんに聞いてみなければ……」
「マートンさんも、よくわからないと答えたよ、それについて僕は考えたんだ。火星へ上陸するときは、御馳走の固まりをたくさんこしらえて持って行くことだと思うよ」
「御馳走の固まり」
「そうなんだ。この御馳走の固まりは、僕たちがたべるんじゃなく、いざというときに、火星の生物の前へ放りだすんだ。するとその生物がむしゃむしゃたべ始めるだろう。その隙に僕は逃げてしまうんだ」
「ほおん、するとその御馳走の固まりは、つまり僕たちの身代りなんだね」
「僕たちじゃないよ、今のところ僕だけの身代りにこしらえる計画さ」
「そんなことをいわないで、僕の分もつくってくれよ」
「よし、そんなら君の分もこしらえてやるが、一体その火星
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