ういった。この言葉から思うと、マートンはデニー博士の同情者であるらしい。
「デニー博士は、この宇宙艇に乗っているんですね」
「そうだ。さっき椿事《ちんじ》を起こしたとき、先生のところへ行って、危険が迫っていますから早く外へ出て下さいとすすめたが、先生は“お前たちこそ逃げろ。わしはどうあっても艇からはなれない”といって、避難することを承知せられなかった」
「するとデニー博士は、この艇と運命を共にせられる決心なんですね」
「先生は、何十年の苦労を積んだあげく、この艇をつくられたんだ。だからこの艇は自分の子供のように可愛いいのだ。そればかりではない。この艇のことについては自分が一番よく知っている。だから椿事が起れば、その際最もいい処置をなし得る者は自分であるという信念をもっていられる。だから、先生はこの艇に残っておられるのだ」
 デニー博士は、もう老いぼれた学者で、もっと悪いことに、気もへんであるし、出来もしない火星探険をするといっている山師の一人だという評判であったが、このマートン技師の話によると、それはまちがいのようである。
「じゃあ、このまま飛んで火星まで行ってくればいいですね」山木が、そういった。
「そう簡単にはいかないよ。出発も三週間早かったし、方向も大体あっているとはいえ少しはずれているし、それからエンジンを制御すること、食糧問題のこと、そういうものがすべて満足にいかないと、火星に出会うところまでいかない。僕たちは今一所けんめいにそのような方向へ持っていこうと努力しているんだよ」
 マートン技師の顔にははっきりと苦悩の色が出ていた。
「食糧も少いのですか」
 ネッドが心配そうにたずねた。彼は誰よりもおなかのすく性質だったから。
「ああ、不足だね。さっき報告があったところでは、三ヶ月分があるかどうか、すこし心配だそうだ」
「たった三ヶ月分ですか」
「マートンさん。火星までは日数にしてどれだけかかるのですか」
「始めの計画では、最もいいときに出発すると約三十日後には火星に達する予定だった。それには時速十万キロを出し、火星までの直線距離を五千五百万キロとして航路の方はこれより曲って行くから結局三十日ぐらいかかることになっていたんだ」
「僕たちもぼんやりしないで、大人の人々といっしょに働こうじゃないか」
 河合がいった。
「そうだ。そうだ。それはいいことだ」
「何でもします。お料理なら自信があります」
 と、張が前へのりだした。
「僕は何をしようかなあ。ボーイさんの代りをやりましょう」
 これを聞いてマートン技師はたいへんよろこんだ。全く、本艇は十数名しか乗組んでいないので、手不足で困っているのだった。
 マートン技師は早速このことを艇長デニー先生のところへ持っていった。先生は、お前に委《まか》せるといわれた。そこでマートンはいろいろの人にたずねてみた結果、張は料理人に、ネッドはボーイに、それから河合はマートンといっしょにエンジンの方を手伝い、山木は隊長デニー博士のところで雑用をすることに決った。そこで四少年は、
「それじゃ、めいめいの持場で、しっかり役に立とうね。しっけい」
 と挨拶して、たがいに一時別れたのであった。
 さて、そういう間も、一番たいへんなのは機関室であった。マートン技師のあとについてその室へとびこんだ河合少年は、そのとたんに心臓が停まる程のおどろきにぶつかった。機関室は二階から地下十階までの十二階をぶっ通した煙突《えんとつ》のような部屋だった。その艇長の部屋に、複雑な機械が幾重にも重なりあい、大小さまざまのパイプは魚の腸《はらわた》の如くに見え、紫色に光る放電管、白熱する水銀灯、呻《うな》る変圧器などが目をうばい耳をそばだてさせる。七八人の人々が配電盤の前に集って計器の面を見入っている。抵抗のハンドルをぎりぎりと廻す。ぽっ! 配電盤のうしろから青い火が出る。配電盤の前に居た人々はあっといって後へとびのく。と、火が消える。すると人々は、またもや配電盤の方へ寄ってくる。変になったエンジンはまだ直らない。
 人々の中に、一段と背の高い老人が交っていた。それこそ河合少年の見覚えのある火星探険協会長のデニー博士であった。
 博士は、この前エリス町に姿をあらわしたときとは違い、目は鋭い光を持ち、頬は赤く輝き、たいへん逞《たくま》しく見えた。彼は宇宙艇が地上を放れて以来すこしもこの室から去らず、エンジンの調子を直そうとして一生けんめいにやっているのだった。
 このようなデニー博士の大奮闘にもかかわらず、エンジンは一向いい調子にもどらないのであった。
「ねえ河合君」とマートン技師が河合少年の肩へ手をかけていった。
「これだけの大きなエンジンを扱うのに、たった八人の技術者しかいないんだぜ。君が働いてくれるなら、どんなに助かるかしれない」
「ええ、働きますとも。しかし僕は何をすればいいのでしょう」
「それはデニー先生が命令される。さあ、いっしょに配電盤の前へ行こう」
 マートン技師に連れられて、河合少年は配電盤の前に集まる技術者の一団に加わった。機械の好きな河合少年は、心臓をどきどきさせて、デニー博士の命令を待った。


   重力は減る


 変になったエンジンの調子を正常にとりもどすことは、絶望かとも思われた。すでに地上から飛びだしてから十四時間を経過したが、あいかわらずエンジンは勝手に働き続けている。
 それでもデニー博士は、次々にエンジンに手を加えている。機械の間から青い火花が散ったり、絶縁物がぼうぼうと燃えだしたり、とうぜん[#「とうぜん」はママ]油がふきだしたり、にぎやかなことであった。河合少年はマートン技師と組んでそういうときに勇敢に機械の中にとびこみ、応急処置を行った。
 誰も余計な口をきく者はいなかった。十四時間ぶっ通しに、すこしの乱れもなくエンジンと闘っている技術者だった。
 このときデニー博士が、くるっと背中を廻して、一同の方へ向いた。何か新しくいうことがあるらしい。
「諸君。これから後は、二交代制にする。というのは、エンジンは変になっているけれど、これ以上悪化することはないと思われる。だから当分、変になったエンジンの番をしていればいいのだと思う。どうせ第一倉庫の原料を使いつくせば、エンジンは自然に停止するに決まっているんだ。そうなるのは今から約四日後のことだ。そうと分れば全員で張番をしているにもあたらない。A組とB組と二つこしらえて交代制でやろう」
 河合少年はマートン技師と共にB組に入った。デニー博士もB組だった。B組は今から三時間休養をとることになり、A組の方はエンジンに対し厳重な張番と応急処置を続けることになった。
「河合君。くたびれたろう。おなかもすいたろう。さあ食堂へ行って、うんと食べてきたまえ」
 と、マートン技師は河合少年に、食堂へ行くことをすすめた。
「はい、ありがとう。マートンさんは食堂へ行かないのですか」
「後から僕も行くよ。その前にデニー博士とすこし相談しておくことがあるのでね、君は遠慮せずに先へ行ってきたまえ」
 そういわれたので河合少年は、一足先へ食堂へ行った。
「お、河合君。その姿は、どうしたんだ」
 ネッドが河合をいち早く見つけて、そばへ寄ってきた。そういわれると、なるほど河合は自分の服が油だらけになっているのに気がついた。
「ちょっとお手伝いをしたところが、この有様さ。ところで張君は、うまくやっているかい」
 と、河合は料理係になった張少年のことを心配してたずねた。
「張君のことか。彼奴は大喜びだよ。なぜって、御馳走のつまった缶詰の中にうづまっているんだからね。ところで君は何をたべるかね。何でも持ってきてやるよ」
 ネッドは、にこにこして、たずねた。
「そうだね、あついコーヒーとね。それから甘いものだ。ショート・ケーキか、パイナップルの缶詰でもいいよ」
「よし、何でもあるから、うんと持ってこよう」
「でも、食料品が足りないという話だから持って来るのは少しでいいよ」
「なあに、うんとあるから大丈夫」
 ネッドは心得顔で、調理場へ入っていった。
 河合が待っていると、調理場で大きな叫び声が聞えた。何だろうと思っていると、間もなくネッドが妙な顔をして河合の方へやってきた。彼は左手でパイ缶を持ち、右手には皿を持ち、その皿でパイ缶を上からおさえつけるようにしている。
「どうしたんだ、ネッド」
 と、河合はたずねた。
「いやあ、へんなことがあるんだよ。パイ缶をあけたんだよ。すると中からパイナップルがぬうっと出てきたんだよ。まるでパイナップルが生きているとしか思えないんだ。それとね、甘いおつゆがね、やはり缶から湯気のようにあがってきて、そこら中をふらふら漂《ただよ》うんだよ。おどろいたねえ。まるで化物屋敷みたいだ」
「ふうん、それはふしぎだなあ」
「だからこうして缶の上をお皿でおさえているんだ。気をつけてたべないといけないぜ」
「どういうわけだろうね、それは……」
 河合はネッドから缶をうけると、ふたになっている皿を下へおいた。すると缶の中からにょろにょろと甘いおつゆが煙のように出てきた。そしてその下から、黄いろいパイナップルの一片がゆらゆらとせりあがってきた。
「ああこれだね。へんだなあ」
「早く、フォークでおさえないと、パイナップルが逃げちまうよ。さっきも調理場で、一缶分そっくり逃げられちまったんだ」
「なるほど、これはいけない。パイナップル、待ってくれ」
 河合はフォークをふるって空中を泳ぐようにして、動いているパイナップルの一片をぐさりとつきさした。
 これは一体どうしたわけだろう。
 地球からもうかなり遠くはなれたため、重力が減ってきたせいである。重力が減ると、物質はみんな軽くなる。そのために、こうしたふしぎな現象が次々に起って、人々をおどろかせ、まごつかせるのであった。


   当った予言


 この日、デニー博士はついにコーヒーに追駆けられた。まことに前代未聞の珍事件であった。そしてそれをはっきりと目で見た山木が、仲間の少年たちの集っている食堂へとびこんできて、その顛末《てんまつ》を語った。
「ああ、僕は今日ぐらいびっくりしたことはないよ。だってコーヒーがね、本当にデニー博士を追駆けまわしたんだよ。そして僕は、その湯気のたつ熱いコーヒーが博士を火傷《やけど》させないようにと思って、一生けんめいコーヒーと角力をとったのさ。そしてこれ、僕はこんなに両手を火傷しちゃった」
 山木はそういって、火傷で赤くふくれあがった両手を、河合と張とネッドの前にだして見せた。
「やあ、ひどい火傷だ」
「でも、君のいうことがよくわからないね、コーヒーがデニー博士を追駆けたといって、それは何のことかね」
 ネッドは、顔を前へつきだした。
「コーヒーが博士を追駆けたのさ。それしかいいようがないよ」
 山木はそういったものの、自分でもおかしくなったか、声をあげて笑った。
「僕にはわかるよ」と河合がいった。
「さっき僕はパイナップルの一片が空中をゆらゆら泳ぎだしたもんだから、フォークをもって追駆けまわしたのさ。博士の場合は、あべこべにコーヒーが博士を追駆けたんだろう」
「そうなんだ。博士の部屋で、電気コーヒー沸しを使ってコーヒーを沸していたのさ。すると博士が“あっ、熱い”と叫んで椅子からとびあがったんだ。見るとね、博士の背中へ何だか棒のようなものが伸びているんだ。それがね、よく見るとコーヒーなんだ。コーヒー沸しの口から棒のようになって伸びているんだ。茶っぽい棒なんだよ。それで僕は、博士の背中にもうすこしでつきそうなその茶っぽい棒をつかんだのさ。ところが“あちちち”さ。両手を火傷しちゃった、そのコーヒーの棒で……。だってコーヒーはうんと熱く沸いていたんだからねえ」
「ふうん、それは熱かったろう」
「ところがコーヒーの棒は、まるで生きもののように、博士の逃げる方へいくらでも追駆けていくのさ。僕は、博士を火傷させては大変だと思ったから、またコーヒーをつかんだ。それから後、何べんも火傷した。ど
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