ナー博士のいる病院があることは分っているが、病院だけではないのだ。団員たちは「本館」と呼んでいるが、本館とだけでは分らない。
 さてその詳しいことは、これから述べることにしよう。


   巨大な斜塔


 あぶないところで、四少年は生命をとりとめた。あのまま濃厚なR瓦斯《ガス》の中に二三時間放っておかれたら、死んでしまったことであろう。
 サムナー博士は、この瓦斯をよく知っているのでこの四人の少年をうまく治療している。それでも、四少年がここへ収容されてから、笑いがとまるまでには六時間もかかった。
 笑いはとまったけれど、四少年の健康は元のとおりになったわけでない。まだしきりに痙攣《けいれん》がおこる。もう声をたてて笑うようなことはないが、痙攣がおこると、顔がひきつったり、手足がぴくぴく動いたりするので、歩くことも出来ず、ベッドの上に寝ているより外《ほか》なかった。
 二週間たった或る日サムナー博士は午前の診察で、四少年をいつもよりは非常に詳しく診察した。その上で次のようなことをいった。
「君たちは、今日診たところでは、まず中毒から直ったものと思う。今日から君たちは、自由にどこでも歩いていっていい。しかしどこを歩いてもいいといっても、本館から外に出ることはまだ許されない。というのはあの瓦斯の影響はまだよく分っていないために、いつまたこの前のような症状になったり、重態に陥ったりするか分らないのだ。それでこの本館にさえいてくれれば、いざというときには私が直ぐかけつけて手当をしてあげられるわけだから、ぜひこの本館に停《とど》まっていてもらいたいのだ。幸い、君たちの目的であったコロラド大峡谷は、本館の屋上へ登れば、手にとるように見えるわけだから、当分そんなことで辛抱してこの本館に停っていてもらいたい」
 博士は、かんでふくめるように、少年たちに説明したので、皆はよく分った。そして博士が、もう帰っていいというまでは、この建物の中で暮すことを承知した。
 その日から、四人の少年たちは、始めはおずおずと、病室から外に出た。そして長い廊下や、曲ってついている階段を歩いたり、娯楽室や食堂へ入ったり、それからまた、盛んに仕事をしている実験室をのぞいたり、ずっと下の方にあるエンジン室では目をぱちくりしたり、いろいろと愕《おどろ》いたりうれしがったりすることが多かった。
 中でも四人の少年たちを喜ばせたものは、塔の上から風景絶佳のコロラド大峡谷を眺めることだった。絵にかいたようだというが、それ以上にうるわしい風景だった。そして一日のうちに、大谿谷はいくたびも違った顔をしてみせた。すがすがしい朝の風景、真昼になってじりじりと岩が燃えるような男性的な風景、巨岩にくっきりと斜陽の影がついて紫色に暮れて行く夕景などと、見るたびに美しさが違うのであった。四人の少年は、声もなく大谿谷の美にうたれて、時間の過ぎ行くもしらず塔上に立ちつくすのであった。
 一週間は夢のように過ぎた。さすがに四人の少年は、この本館内での生活に退屈を感ずるようになった。博士に、それとなく聞いてはみたが、当分ここから出してくれそうもない。困ったことである。夏休みはもう何日も残っていないから帰りたいといったところ、博士は学校の方には通知を出しておいたからすっかり直るまでここにいていいのだと答えた。それではもう仕様がない。
 或る日、ネッドが顔を輝かして、仲間のところへ戻ってきた。四人の少年の乗って来た牛乳配達車が、この本館の或る部屋にちゃんとしまってあるのを見付けたというのである。
「そうか。それはいいものを見つけたね。すぐ行ってみよう」
「すっかりそのことは忘れていたね」
 四人の少年は、にわかに元気づいて、ネッドを案内に先立たせ、その部屋へ行ってみた。そこは地階七階にある倉庫の一つであった。彼等の自動車の外にも、乗用車やトラックが入れてあった。少年たちはその方にはちょっと目をやっただけで、あとは懐しい箱車の上によじのぼり、まだ罎詰などがたくさん残っている箱車の中に入ったりした。
 こうして自分たちのぼろ車のところで遊んでいると、ふしぎに退屈しなかった。それで一日のうち何時間はここで遊ぶことに相談がまとまった。但しそれを看護婦なんかにいうと叱られるかもしれないので、ここで遊ぶことは内証にして置くことに決めた。
 そういうことが、また次の大事件に関係する原因になるとは露知らぬ四少年だった。


   地階の窓


 地下七階にあるこの倉庫に四名の少年が集まると、必ず自分たちの身上がこれからどうなるのか、またこの巨塔は何だろうかということについて論じ合うのが例であった。
 その謎は深い。毎日のように論じ合っても、その謎は解けなかった。
 山木が張《チャン》をからかっていった。
「こうなったら、牛頭大仙人の予言をつつしんで承るより方法がないよ。おい牛頭の仙ちゃん、一つ水晶の珠で占っておくれよ」
「だめ、だめ。僕に占いなんか出来やしないよ」
 牛頭大仙人で村人を黒山のように集めたときの元気はどこへやら、張少年は赤くはにかんで隅っこへうずくまる。
「だめなことはないよ。じゃあ僕が水晶の珠を持ってくるから、君は占いたまえ」
 ネッドが立上って、傍にほこりだらけになっている牛乳配達車の箱の中へ入っていった。
「だめ、だめ。ほんとうは、僕は占いなんかできやしないんだ」
「ふふふふ、張君がほんとうのことを白状したぞ。占いや予言なんて、あれはでたらめにきまっているさ。僕は前から知っていた」
 と、小さい技師の河合がいった。
「そうもいえないよ」と山木が反対した。
「占いは、一種のたましいの働きなんだ。だからたましいを小さいピンポンの球のように固めることができる人は占いができる人だとさ。張君は、それができるんだろう」
「そういわれると、僕にも思いあたることがあるよ、ときによると、僕のたましいはピンポンの球ぐらいに固まることがあるよ」
 と、張が、真面目な顔付で膝をのりだした。
「そうだろう。そういうときに占いをすればちゃんと当るのさ。そうそう、そのことを精神統一というんだ」
「うそだ、あたるもんか」
 と、河合はあくまで反対だ。
「そんなら、あたるかどうか、ここでやってみればいい、さあ水晶の珠を持ってきたよ」
 ネッドは、水晶の珠を張の前へ置いた。
「一体何を占うんだい」
「これから僕たちはどうなるか、それを占ってみな」
「よし、やってみるぞ」
 張は水晶の珠の前にあぐらをかき、それから両手を珠の方へぐっと伸ばし、目をつぶった。そうしたままで、張はしばらく眉の間にしわをこしらえ、むずかしい顔をしていたが、やがて目を大きく開いて水晶の珠を穴のあくほど見つめた。その大げさな表情を見ていた河合は、ぷっとふきだして笑いかけたが、山木がそれを見て河合の口を手でふたをした。
「しずかに……」
 そのとき張が、へんな声を出して喋りだした。
「……ああら、たいへん。僕たち四人の胸に大きな勲章がぶら下っているよ……」
「でたらめ、いってらあ」
 河合が山木の手の下から呼んだ。
「しずかにしないか、こいつ……」
 山木が河合の口をぎゅうとおさえた。
 と、張は、
「おやおやおや、景色が一変した。僕たち四人は、牛の背中にのって、ニューヨーク市のブロードウェイを通っているぞ」
「牛の背中にのって……」
 ネッドが目をまるくした。
「……紙の花片が、大雪のようにふってくる。五色のテープが、僕たちの頭上をとぶ。すばらしい歓迎ぶりだ……」
「うそだよ、そんなこと。僕たち四人がそんなすばらしい目にあう気づかいないよ。だって、僕たちは、おこずかいを貯めて、やっと自動車旅行をしている身分じゃないか」
 と河合が、山木の手を払っていえば、山木も、
「ふうん、話が少しお伽噺《とぎばなし》みたいだね」
 と、今はうたがいを持ったらしく、首をひねる。
 そのときだった。どこかでベルがけたたましく鳴りだした。と、人々のわめく声、つづいて乱れた足音が廊下をかけて行く。
「何だろう、あれは……」
「火事じゃないかな」
「火事じゃないだろう。映画が始まるんじゃないかな」
「よし、張君に占わせよう。さあ張君。占った。あのベルの音は、何事が起ったのか」
「さあ、困ったなあ」
「さあ早く早く」
 ネッドが水晶の珠を張の方へおしつける。
「まあ、待て、もっと落着かなくては……」
「そんなことは後にして、廊下へ出て、誰かに聞いてみなくちゃ……」
 と、河合は立って扉をあけようとした。そのときどすんと非常に大きい音が聞えたと思うと、部屋が今にも崩れそうに、震動した。河合は扉のハンドルをつかんだまま床の上におしつけられた。他の三人の少年たちは平蜘蛛《ひらぐも》のようにへたばった。と、次の瞬間には、部屋全体がきりきりきりと独楽《こま》のように廻り出した。室内にあった自動車同士が、はげしくぶつかり合い、ドラム缶がひっくりかえり、油がどろどろ流れだす。缶はがらんがらん転げまわる、少年たちはその下敷になるまいと逃げ廻る、いやたいへんなさわぎとなった。
 が、そのさわぎも二分間ほどで終り、あとは大体しずまった。ただ、床がたえずこまかい震動をつづけているのと、張ってある紐がゆらゆらゆれているのと、それからときどきぐいっと床が持上げられるように感ずるのと、それだけがいつものこの部屋とはちがっていた。しかしさっきのあの物音と震動とは一体何事であったのか。
 そのとき河合はようやく扉をひらくことに成功した。彼は廊下にとび出した。それに続いて三少年も、とび出した。
 廊下には人影がなかった。また人声もしなかった。静かでありながら、何だか様子がおかしい。
「おや、こんなところに窓があいている。今まで窓なんかなかったのに……」
 と、河合がいいながら、そのふしぎな窓のところまで行って、外をのぞいた。
「おやっ、たいへんだ。皆早く来い……」
 河合はのどが張り裂けるほどの声で、仲間をよんだ。ふだん沈着な彼は、一体何におどろいたのだろうか。とつぜんそこにあいた窓をとおして、彼は外に何を見たのであろうか。


   空飛ぶ塔


 窓|硝子《ガラス》に四人の少年が、めいめいの顔をおしつけて、顔色も蒼白に言葉もなく、ぶるぶる慄《ふる》えている。八つの目は、遙かに下方に向けられている。下には美しいコロラド大峡谷の全景があった。
 ふしぎだ。夢を見ているのではなかろうか。地階の窓から、コロラド大峡谷の全景が見下ろせるはずがない。
 が、事実ちゃんとそれが見えているのだ。絵ではない。映画でもない。テレビジョンでもない。実景が見えているのだ。その証拠に村が見える。白い煙を吐いて走っている列車が見える。おお、四発の旅客機さえ見えるではないか、その飛行機は、窓のすぐ向うを飛んでいる――いや、今すれちがって見えなくなった。
 ふしぎだ。空中を飛んでいるぞ。それにちがいない。窓から外を見ていると……。だが、いつわれわれは飛行機に乗りかえたろうか。そんなことはない、ああ、そうだ。現にわれわれは、ちゃんと廊下に立っているではないか、本館の廊下の上に……。
 しかし、窓から外を見れば、どうしてもわれわれは今飛行機の中にいるとしか思われない。大峡谷の景色は、さっきから思えば、ずっと小さくなった。その代り、ずっと遠方までの広い風景が一望の中に入っている。ふしぎでならないが、さっきにくらべて、もうかなり高度が増したようだ。
「おい、どうしたんだろう」
「どうしたんだろうね」
「気が変になったんだろうか」
「僕たちが四人ともいっしょに気が変になるなんて、あるだろうか」
「変だ、変だ、どうしても変だ」
「変どころのさわぎじゃないよ。僕たちは、空中へ放りあげられたんだ」
 そういい切ったのは河合少年だった。さすがに彼は、このさわぎの中から一つの考えをまとめる力を持っていた。
「空へ放りあげられたって」
 山木も張もネッドも、同時にそう叫んだ。
「ほら、下をごらん。あそこに見えるのは地上だ。地上があんなに小さく遠くなっていく
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