か」
と、張はコーヒーを入れたコップ代りの空缶を下において、ごろりと寝ころがった。
「でも、張君。それは罪だよ。デニー博士は、君の占ったことを本当だと思って、今も大いに悩んでいることだろうと思うよ。可哀そうじゃないか」
山木は同情して、そういった。
そうだ、火星探険協会長たるデニー博士は、この頃たいへん悩んでいて、これまで自信をもっていた自分の判断力に頼ることができなくなり、牛頭大仙人の水晶占いのことを聞きつけると、わざわざ駆けつけたものであろう。だから多分博士は、張のいったことを今本気で信じているのではなかろうか。きっと、そうだ。すると博士の火星探険計画に、これから何か重大な影響を及ぼして来ることだろう。これはたいへんなことになった。
赤三角研究団
話はここで変って、赤三角研究団というものについて記さなければならない。
赤三角研究団とは、変な名前である。が、これにはその団員が研究衣の肩のところに、赤い三角形のしるしをつけているので、そうよばれる。本当のちゃんとした名前が別にあるのだが、土地の人は誰も皆、赤三角研究団とよびならわしているので、ここでも当分そのように記して置こう。
さて、この赤三角研究団は元気のいい青年たちで編成せられて居り、研究団の本部はアリゾナの荒蕪地《こうぶち》にあった。そこからは遙かにコロラド大峡谷の異観が望見された。
荒蕪地というのは、あれはてた土地のことで、ここは砂や小石や岩石のるいが多く、畑にしようと思ってもだめであった。だから人もあまり住まず、雑草がおいしげっているばかり、鳥と獣が主なる居住者だった。そういうところに、赤三角研究団の本部が置かれてあったが、その建物は、この土地以外の人だと、どこにあるか分らなかった。というわけは、本物の建物は、地中深いところにあって、外からは見えなかった。ただその建物の出入口にあたるところが小さい塔になっていた。
塔とはいうものの、たった三階しかなく、各階とも部屋の広さは五メートル平方ぐらい、屋上が展望台になって居て、柱に例の赤三角のついた旗がひるがえっていた。見渡すかぎり雑草のしげる凸凹平原の中に、こうした旗のひるがえる小塔のあることは、このあたりの風景をますます異様のものにした。
赤三角研究団の団員は、どういうわけか、いつもたいてい防毒面のようなものを被ってこの荒蕪地を走りまわり、測量をしたり、煙をあげたり、そうかと思うと小型飛行機を飛ばしたり、時には耕作用のトラクターのように土を掘りながら進行する自動車を何台かならべて競争をするのだった。
この赤三角研究団は、いったい何のためにこんなことをやっているのであろうか。
さて赤三角研究団では、この頃又へんなことを始めた。例の荒蕪地の方々に大小さまざまな檻《おり》を建てたのである。そしてその中にさまざまな動物を入れた。馬や牛や羊はいうに及ばず、鶏や家鴨《あひる》などの鳥類や、それから気味のわるい蛇《へび》や鰐《わに》や蜥蜴《とかげ》などの爬蟲類《はちゅうるい》を入れた網付の檻もあった。早合点をする人なら、ははあここに動物園が出来るのかと思ったことであろう。ところが本当はそうでない。その証拠には、檻の傍にかたまっている研究団の人々の傍で話を聞いてみるのが早道である。
「どこまで進行したかね」
「もうあと、檻一つ出来れば、それで完了だ。全部で四十個の檻が揃うわけだ」
「もう一つ残っている檻って、何を入れる檻かね」
「第十九号の檻だ。チンパンジー(類人猿)を入れる檻だ」
「ああ、そうか。おいおい、瓦斯《ガス》の方は準備は出来ているかあ」
「出来すぎて、皆退屈しているよ、昼から野球試合でも始めようかといっている」
「ふふふ、えらく手まわしがいいね。もちろん瓦斯試験もすんでいるんだろうなあ」
「大丈夫だとも、何なら野球場だけをR瓦斯で包んで、その瓦斯の中で野球をしようかといっている」
「だめだ、R瓦斯を出しちゃ。瓦斯放出は今日の午後三時からということになっているから、厳格に時間を守るように。そうでないと思い懸けない事件が起ると、責任上困るからなあ」
「僕達は全部マスクをつけているからいいではないか」
「ああ、僕達はいいが、村民でまだ引揚げない連中もあるだろう」
「しかし、放送で再三注意しておいたからねえ、“この地区では瓦斯実験を行うので危険につき今日の正午以後翌日の正午まで立入禁止だ”と繰返し注意を与えてある。だから、このへんにまごまごしている者はいないよ」
「だが、念には念を入れないといけない。とにかくR瓦斯の放出時間は午後三時だ。それより早くは、やらないからそのつもりで……」
この会話によると、この地区一帯に、本日の午後三時以後R瓦斯がまかれるらしい。R瓦斯というのは、或る学会雑誌に出ていたが、それは元々この地球にはなかった瓦斯であり天文学者が火星にこのR瓦斯なるものがあることを報告したのに端を発し、この地球でも研究資料としてR瓦斯の製造が始まったのだ。R瓦斯は地球生物にどんな影響を与えるか。それについてこの赤三角研究団が今研究を始めているのであった。今回は、一般動物だけに限り、人間に対しては行わない。それは人間に対して行うにはまだ危険の程度が分らないからであった。今回の動物実験がすんだ上で、次回には更にあらゆる準備をととのえ、人間を試験台にすることとなっていた。今まで室内で研究した結果によると、モルモットなどは非常に強く作用して、顔をゆがめ転げまわって悶々とするそうだ。そして一時間後には死んでしまうという。この瓦斯は、今日は非常に重くし、試験地区以外へは移動しないように注意されていた。
さて時刻はどんどん過ぎていって、いよいよ午後三時となった。それまでに、この広い試験地区内は念入りに人間のいないことがたしかめられた。いるのはマスクをつけた団員と、四十個の檻の中に入っている動物だけであった。団員はその日瓦斯が放出されたら、動物の生態を調べる仕事や、またその瓦斯の中で発電機をまわしたり、エンジンをかけたり、喞筒《ポンプ》を動かしたりの重要な仕事を持っていて、今日は総出でやることになっている。
「もうすぐ瓦斯を放出するが、街道の方をよく気をつけているんだぞ。自動車がやって来たら、すぐ停めて他の道へまわってもらうんだ」
「はい、よろしい」
間もなくR瓦斯は、十五台の自動車に積んだタンクから濛々《もうもう》と放出された。黄《き》いろ味《み》を帯びたこの重い瓦斯は、草地をなめるようにして静かにひろがって行った。やがて檻を包み、岡を包み……あっ、たいへん、その岡の蔭から一台の牛乳配達車がふらふらと現われた。大きな箱に、乳をしぼられる牝牛の絵、そして貼付けられたる牛頭大仙人の大文字。これぞ間違いなく彼の山木、河合、張、ネッドの四少年の乗っているぼろ自動車であった。なぜ今頃、岡の蔭から現われたのか、彼等の自動車は何も知らないと見え、黄いろ味を帯びた雲のような瓦斯の固まりの中へずんずん入って行く。さあ、たいへんなことになった。
瓦斯《ガス》中毒
四少年の自動車にはラジオ受信機が働いていないことが、この椿事《ちんじ》の原因だった。ラジオを聞いて注意していれば、こんな間違いはなかったのだ。受信機は一台積みこんであったが、牛頭大仙人の占い用として転用したので、今はラジオが聞けない状態となっていたのだ。
しかも四少年の自動車は、昨日の夕方ちょうどこのあたりで大峡谷が遠望出来るようになったので大喜び、道もないこの原野へ自動車を乗入れたのだ。そして岡の中腹に大きな洞窟《どうくつ》があるのを見つけ、その中に車を乗入れ昨夜はそこで泊ったのである。それから今日の朝を迎えたが、すぐ出発は出来なかった。それはエンジンの調子が悪くなったからだ。何しろ古いおんぼろ自動車のことだから、エンジンを直すといっても簡単にはいかない。たいへん手間がとれて出発は午後三時となったのだ。
この間、研究団員も、この洞窟の中まで点検には入って来なかった。いくら物好きでも、まさかこんな奥深い中に人間が隠れていようとは思わなかったからである。
少年たちの自動車は、ゆうゆうと黄いろ味がかったR瓦斯《ガス》の雲の中を徐行して行く。なにしろ石ころが多いために、車が走らないのであった。
研究団員が、この牛乳配達車を見つけるまでに約十五分ばかり時間がたった。それを見つけた団員ビル・マートンはおどろいた。彼は早速このことを本部へ知らせると共に、そこに居合わせた同僚五名に直ちに仕事を中止させ、そして全員を自動車に乗せ、あの牛乳配達車のいる方向へ向って飛ばしたのだった。
この車が現場に到着したときは、牛乳配達車の方は、岩の上には車輪をのしあげ、ぐらりと左に傾いたまま停車していた。車はこうして、じっとしていたが、じっとしていないのは人間の方だった。四少年は、山木も河合も張もそしてネッドも、岩石散らばる荒蕪地の上を転々として転げまわり、そしてはははは、ひひひひと笑い転げていた。いったい何がおかしいというのであろうか。
そこへ自動車を乗りつけ、車から降りたビル・マートンを始め六名の団員は、雑草と岩石の上を転げまわって笑う四人の少年の姿をうちながめ、一せいに表情をかたくして、その場に立ちすくんだ。
やがてマートンが叫んだ。
「ああ、大きな手ぬかりだった。この人たちは危険なR瓦斯を吸ってしまったのだ。そしてこの通り苦しんでいる」
「苦しんでいるのじゃないよ。おかしくて仕方がないという風に、笑い転げているんだ」
「ちがうよ。おかしくて笑っているのではないよ。おかしくもないのに笑っているのだ。R瓦斯の中毒なんだ、こうしてひどく笑い転げるのは……。さあ、この人達を僕たちの車にのせて病院へ連れて行こう。早くしないと、この善良にして不幸な人達は、笑い疲れて死んでしまうだろう。さあ、手を貸せ」
「よし。じゃあ大急ぎだ」
「おや、これは子供だね。東洋人だ」
こうして山木たちは、マートン青年たちの手によって現場からはこび去られた。車上でも、山木たちは、はあはあひいひいと笑いもがき、それをそうさせまいと思っておさえつけるマートンたちの努力はたいへんなものだった。
本部の地下室にある医務室へ、四人は一旦収容せられたが、そこに居合わせた医務員は四少年の病状を見て、
「これはなかなかの重態だ。ここに置いたのではうまく手当が出来なくて、危篤に落入るかもしれない。これはどうしても、サムナー博士の居られる本館病院へ送りつけないと、安心がならない」
といって、ここでは十分の治療ができないことをはっきりさせた。そこでマートンたちは、笑いまわる四少年を再び車に乗せて、サムナー博士の居る本館病院へと移動させたのであった。
本館というのは二十五|粁《キロ》ばかり西北方へ行った地点にあり、コロラド大峡谷を目の前に眺める眺望絶佳な丘陵の上にあった。それは一つの巨大なる塔をなしていた。しかもその塔は、西の方へかなり傾斜して、十度まではないが八度か九度は傾いていた。まるで魚雷が不発のまま突き刺さったような恰好である。そして小さい丸い窓が、点々としてあいているが、その窓の大きさは塔全体から考えると非常に小さく、どこか八つ目|鰻《うなぎ》の目を思わせるところがあった。
塔の上は、天文台の屋根のように、半球を置いたような形をしていた。その外に、旗をあげるのにいいような斜桁《しゃこう》や、超短波用らしいアンテナが三つばかりあり、まるで塔がかんざしを刺したような形に見えた。
マートンたちの自動車は、この塔の中に吸い込まれるようにして見えなくなった。がそのとき自動車が塔にくらべてたいへん小さく見えた。まるで赤いポストの方へ向って豆が転っていったほどであった。塔はすこぶる巨大なのであった。塔の全部をまっ赤に塗った巨塔が、丘陵の上に傾いて立っているところは何となくものすごく、そして不気味で、この土地に慣れない者はあまり永くこの塔を見ていられないといっている。
この塔は何か。サム
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