考えて、秘密に乗物を用意していると思うね。それを皆に明かさないのは、何しろ火星まで行き着くための乗物だから、その秘密を知られないように隠してあるんだと思う」
「おじさんは、なかなか博士びいきなんですねえ」
「博士びいき? そういうわけじゃねえが、あの爺さんの姿は、もう三十年あまりもこの二つの目で見ているんだから、いろいろ悪口をいうものの、本当は人情がうつらぁね。それに近年博士に対して大人気《おとなげ》ない攻撃をする奴がだんだん殖えて来るのには、わしでも腹が立つね。わしの力で出来ることなら博士に力を貸して威勢よく火星探険へ飛出させたいと思うが、何しろ博士があのとおりよぼよぼじゃあ、後押しをしてもその甲斐がないよ」
そういうところをみると、ジグスはなかなか博士の同情者の一人らしい。
「おや、デニー博士が、張《チャン》――いや牛頭仙人に何かお伺いをたてているぜ」
と、このとき山木がびっくりしたように叫んだ。
そのとおりだった。デニー博士は箱車の覗き穴へ自分の顔をぴったりと当てて、牛頭仙人とさかんに押問答をやっているようだった。そしてラッパからしゃがれた張の作り声が、はっきりしない言葉となって飛出すたびに、そのまわりに集っていた町の人々は、どっと笑いくずれるのであった。博士だけはますます熱中して、箱車の穴の中に、そのもじゃもじゃの髭面をつきこみそうだった。
とんだ災難
やがて博士は、箱車から顔を放した。
改めて笑声が、まわりから起った。
「博士さま、お前さまは“コーヒーに追いかけられて大火傷をするぞ”といわれたでねえかよ、はははは」
「はははは。それによ、お前さまの将来は“この世界の涯まで探しても寝床一つ持てなくなるし、自分の身体を埋める墓場さえこの世界には用意されないであろう”といわれたでねえか。やれまあお気の毒なことじゃ。はははは」
「おまけによ、お前さまは“心臓を凍らせたまま五千年間立ったままでいなければならぬ。一度だって腰を下ろすことは出来ないぞ”といわれたでねえかよ。お気の毒なことじゃ。はっはっはっはっ」
笑声のおこりは、博士が牛頭仙人からお告げにあるらしい。すると博士は、コーヒーに追いかけられること、寝床も墓も持てないこと、五千年間立ちん棒をすることを告げられたのだ。
博士は人だかりをかきわけるようにして出てきた。山木も河合も、博士の顔をよく見ることができた。博士は口の中でなにかぶつぶついっていた。
「デニーの旦那。アリゾナの方はどうですかね」
ジグスが声をかけた。
「や、や、ふん、ジグスか。このへんの衆はあいかわらず口が悪いのう」
博士は、ジグスの問いにはこたえず、憤慨《ふんがい》の言葉をもらした。
「旦那。みんな口は良くないが、腹の中はみんないいんですぜ。旦那が一日も早く火星へ飛んで行けるように、みんな祈っているんですよ」
「そうとも思われないが……」
「旦那、火星への出発はいつですか。もうすぐですか」
「そんなことは、話せないよ」
「いって下さいよ。わしは仲間のやつと賭をしているんですからね」
「どんな賭だね。君はどういう方へ賭けたのかね」
「わしですかい。わしはもちろん、デニー博士は今年の十二月までに地球を出発して火星へ向かうであろうという方へ入れましたよ。今となってはとんだところへ入れたものです」
「ふふふふ。まあいいところだ」
「なんですって。もう一度いってくださらんか」
「いや、ふふふふ。賭けというものは必ず負けるものじゃと思っていればいいのだ。そうすれば思いがけない儲けがころがりこむじゃろう」
「ねえ旦那。火星探険の乗物は、何にするのですかい。ロケットかね、それとも砲弾かね」
「ふふふふ。素人には分らんよ。もっともわしにもまだはっきりきまらないのだがね」
「なんだ、まだ乗物が決まらないのじゃ、わしの賭けもはっきり負けと決った」
「君みたいに気が早くてはいかんよ。火星探険でも何でもそうじゃが、焦っては駄目じゃ。気を長く持って、いい運が向うから転がりこむのを待っているのがよいのじゃ。な、気永に待っているのがよいのじゃ。待っていれば必ずすばらしい機会は来るもの。焦《あせ》る者不熱心な者は、そういうすばらしい機会をつかむことができん」
「旦那。お前さんの火星探険は三十年も機会を待っているようだが、それはあまりに気が永すぎますぜ。悪くいう者は、デニー博士は火星探険などと出来もしない計画をふりまわして金を集める山師だ、なんていっていますぜ」
「山師? とんでもない下等なことをいう仁があるものじゃ。今に見ていなさい。一旦その絶好の機会が来れば、余は忽然《こつぜん》としてこの地球を去り、さっと天空はるかへ舞いあがる……」
「あ、いたッ」
博士の言葉のうちに、横合で悲鳴が聞えたその方を見ると、一人の少年が地上にうちたおされていた。その少年は顔を両手でおさえていた。そして顔も手も血だらけであった。その少年は山木だった。
「あっ、これは失敗じゃ。つい力が入って、このステッキが顔にあたったものと見える」
デニー博士は、ふりあげたステッキを下におろして、赤い顔をした。
河合とジグスは、すぐ駆けよって、たおれている山木を抱きおこした。そしてハンカチで鼻をおさえてやった。山木は、博士のステッキを鼻にうけ、鼻血を出したのであった。
「おお、日本の少年君、すまんことをしたね。勘弁してくだされ。さぞ痛むことじゃろう」
博士も山木を抱くようにして、自分の失敗について謝った。
「いいんです。もう大丈夫です」
と、山木は首をふって見せた。すると、またどくどくと鼻血が流れて服をよごした。そのまわりには町の人々が黒山のように集まって来て、わいわいいい出した。デニー博士はいよいよあわてて、「おいジグス君。この少年を、僕の車にのせて医師のところへ連れて行こうと思うが、どうだろう」
「いや、もう大丈夫ですよ。さわがないでください」
山木は、はずかしそうにいった。河合が紙を巻いて、山木の鼻の穴に栓《せん》をかってやった。そして顔の血をすっかり拭ってやったので、山木の顔は元気に見えた。
そのときデニー博士は、ジグスを呼んで、ポケットから一挺《いっちょう》の古風なナイフを出すと彼の手に渡して、
「このナイフを、僕が怪我させた少年に対し、謝罪の意味で贈りたいと思う、君から伝達を頼む」
といった。そして博士は、人々の笑声と罵《ののし》りの声を後にして逃げるようにこそこそと、自動車の置いてある国道へ急いだ。
豪華な昼食
張《チャン》とネッドの二人が仕組んだ牛頭大仙人の占いは、思いがけなく大成功をおさめた。その証拠には、翌朝エリスの町を後にして、国道を北へ進んで行く例の箱自動車の中は、野菜と果物と缶詰とパンとで、いっぱいであった。そしてその間から張とネッドが、顔をキャベツのように崩して笑い続けていた。これだけの食糧があれば、来週一杯、食べものに困るようなことはあるまいと思われた。張もネッドも、これから大きい顔をして食事をとることができるのだ。
さしあたり、その日の昼食は、近頃になくすばらしいものだった。路傍にある松林の中へ入って、清らかな小川を前に、四人の少年は各自の胃袋をはちきれそうになるまで膨《ふく》らますことができた。そしてそのあとには、香りの高いコーヒーと濃いミルクとが出た。
「こんなに儲かるんだったら、夏休みがすんでも学校へ帰らないで国中うって廻ろうか」
ネッドは、たいへんいい機嫌で、黒い顔に白いミルクをつぎこみながらいった。
「いや、僕は御免だ」
と、張が反対した。
「あれっ、君は、こんなに儲かったかといって、躍りあがって喜んだくせに……」
「だって、あんな重い牛の頭のかぶりものをかぶって、二時間も三時間も休みなしで呻《うな》ったり喚《わめ》いたりの真似をするのはやり切れん」
「でも、さっきは喜んでやったじゃないか」
ネッドは承知をしないで張をにらむ。
「さっきは、僕たちが飢え死をするかどうかの境目だったから我慢したんだよ。君がいうように僕ひとりで毎日あんな真似をやった日には、きっと病気になって死んでしまうよ」
「弱いことをいうな。張君。とにかくあんなに儲かるんだから、辛抱しておやりよ」
「儲けるのはいいが、僕一人じゃ僕が損だよ。牛頭大仙人を、毎日代りあってやるんなら賛成してもいいがね」
「牛頭大仙人を毎日代りあってやるって。へえ、そんなことが出来るのかい。だって、水晶の珠をにらんで、どうして占いの答えを出すのか、僕たちに出来やしないじゃないか」
山木が、言葉を投げた。
「なあに、あの占いのことなら、そんなに心配することはないよ。誰にでも出来ることだよ。つまり、水晶の珠をじっと見詰《みつ》めていると、急になんだか、喋《しゃべ》りたくなるからね。そのときはべらべら喋ればいいんだよ」
張は、すました顔である。
「だって、それがむずかしいよ。僕らが水晶の珠を見詰めても、君のようにうまく霊感がわいて来やしないよ」
「それは僕だって、いつも霊感がわくわけじゃないよ」
「じゃあ、そのときはどうするんだい。黙っていてはお客さんが怒り出すぜ」
「そのときは、何でもいいから出まかせに喋ればいいんだ。するとお客さんは、それを自分の都合のいいように解釈して、ありがたがって帰って行くんだ。占いの答に怒りだすお客さんなんか一人もいないや」
張は自信にみちた口ぶりである。
「呆れたもんだ。それじゃインチキ占いじゃないか」
と、山木は抗議した。
「違うよ。こっちは口から出まかせをいうが、お客さんの方は自分の口から都合のよいように解釈して、答をにぎって帰るんだぜ。そしてあのとおり缶詰や野菜をうんと持込んでくれるところを見ると、皆ちゃんとあたっているんだぜ。だからよ、こっちのいうことは口から出まかせでもお客さんは何か思いあたるんだ。そしてその言葉によって迷いをはらし喜んで一つの方向へ進んで行くのだ。だから結構なことじゃないか。儲けても悪くないんだ」
張仙人は、彼一流の考えをぶちまけた。これには山木も、すぐには返す言葉がなかった。
「じゃあ張君。さっき君に占ってもらった火星探険協会長のデニー博士ね、あのときの占いは、あれは本物なのかい、それとも口から出まかせなのかい」
そういって聞いたのは、今まで黙って熱いコーヒーを啜《すす》っていた河合だった。
「はははは、あれかい。あの髭むくじゃらの先生のことだろう。あれは、君が出発前に僕がネッドを使っていわせた占いと同じようなもので水晶の珠を使わなくても分るんだ」
張は、くすくすと笑いつづける。
「ふうん“二日後に僕たちが厄介を背負いこむだろう”などというあれだね。あれはひどいよ」
河合は、張をにらんだ。が、あのときのことを思い出して、おかしくなって吹き出した。
「はははは、そう怒るな。とにかくあれは占うまでもなく、水晶さまにお伺いしないでも口からつるつると出て来たことなんだ。そういう場合は、ふしぎによくあたるんだ」
「あたるのは、あたり前だ。自分が二日後には追附くことが分っているんだもの。全くひどいやつだよ」
「おい張君。すると結局デニー博士に与えた占いはどういうことになるんだ。やっぱり君は博士の将来はこうなると知っていて、あのように喋ったのかね」
こんどは山木が聞いた。
「そうでもないね。始め僕は、あの人が火星探険協会長だとは知らなかったんだ。だから何にも知ろうはずがない。ただ、博士が穴から顔を出したとき、あれだけの答が博士の顔に書きつけてあったんだ。僕はそれを読んで順番に喋ったにすぎないんだ」
「うそだい。博士の顔に、そんなことが書いてあるものか。考えても見給え。博士の顔と来たら髭だらけで、文字を書く余地は、普通の人間の三分の一もないじゃないか。字を五つも書けば、もう書くところなんかありやしない」
山木がそういうと、河合とネッドが声をあげて笑った。多分デニー博士の愛すべき髭面を思い出したのであろう。
「もうそんなことは、どうだっていいじゃない
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