だ。気候、風土の違った火星の上である。空気も稀薄だ。重力もたいへん違っている。温度も激しく変る住みにくい土地だ。更に、火星においては、どんな生物にぶつかるかしれない。彼等の心とわれら地球人類の心とが、果してうまく通うであろうか。自分たち一行は、火星生物の恐るべき迫害にさらされるのではなかろうか。ちょうどわれら人類の祖先が、かの有史前において、昼といわず夜といわず、猛獣毒蛇の襲撃にあい、毎日の如く大きい犠牲を払いながら苦闘と忍耐とをつづけたように。――デニー博士は、大歓喜に酔うことは一時預けとして、直ちに適切な命令を次々に発しなければならないのだ。人類最高の名誉をになう彼の部下を率い、そしてこれらの部下を保護し、更に進んで火星生物との間にむずかしい交渉を開始し、それを平和的に解決しなければならないのだ。思えば思えば、デニー博士の上にかかっている責任は、測りしられぬほど重《じゅう》且《か》つ大《だい》である。
「各室の空気|洩《も》れを点検!」
 博士が第一番に出した命令は、これであった。空気洩れの箇所がないか、調べるのであった。火星には空気が少い。これまでに研究せられたところでは、火星の空気の濃さは地球で一番高いといわれる標高八千八百八十二メートルのエベレスト峯頂上の空気よりももっと稀薄《きはく》であろうといわれていた。それは地上の気圧の約三分の一に相当するが、これによって火星の大気は、地球のそれの四分の一かそれ以下であろうと想像された。
 だからもし宇宙艇が、各室の空気洩れの穴をそのままに放っておけば、艇内の空気はどんどん外へ出ていってしまい、艇内の人々は呼吸困難に陥らなければならない。だから空気洩れの箇所を調べ、もしもそれがあるときはその部屋を犠牲にして、次の部屋との境にある密閉戸を下ろさねば危険となるのだ。しかもこのことは大急ぎでやらなければならなかった。
 生憎《あいにく》と宇宙艇はこれまでの難航によって、方々が壊れた。その都度応急処置をとったのであるが、何分にも航行の仕事に手がかかって、空気洩れ防止の方は十分に行われていなかった。デニー博士が、まずこの始末について第一の命令を発したのは正しかった。
 全員は各室を駆けまわり、すこし惜しかったけれど、漏洩《ろうえい》のある部屋はどんどん捨てて、それより手前の密閉戸を下ろしていった。
 その作業は、各員の努力によって、早くも五分後には大体終了した。
「全員、上陸用空気服を点検!」
 第二の命令が、デニー博士の口をついて出た。こんどは、各自の上陸用空気服の点検であった。上陸用というのは、火星へ上陸することを意味しているのであって、この艇内から出るには普通のままの服装では出られない。まず酸素不足などを補うために、特別製の圧搾《あっさく》空気をつめた槽《そう》から空気を送って呼吸しなければならぬ。それがためには、潜水服に似たものを着、そして潜水|兜《かぶと》に似たものを頭に被り、空気|槽《そう》を背負わなければならなかった。それだけではない。火星の上には、温度の激変が起ると思われているので、それにはこの空気服がスイッチ一つで温められるようになっていなければならない。いわゆる電熱服である。
 普通の電熱服は服についている紐線の端のプラグを、艇内の配電線のコンセントへさしこめば、それで電流が通って服が暖くなるわけであったが、上陸用空気服では、そうはいかない。艇から長い紐線を引張って歩くわけにはいかないからだ。そこで特別の電熱が用意されてあった。それは極く小さな原子力エンジンに直結された発電装置であった。この原子力発電機は、その他いろいろな仕事をも、つとめる源であった。
 上陸用空気服の点検は終った。各自はいつでもこれを着用できる準備をととのえた。
 デニー博士は、第三の命令を発した。それは各自が、それぞれの新部署につくことであった。新部署というのは、火星の上で生活をするための仕事の分担だった。
 河合は、マートン技師の下でエンジン係をやることになったし、ネッドは食堂の給仕係を、張は料理人を勤めることになり、前と同じ役目に戻ったわけだ。山木は見張員として活躍することとなり、正式に六方向テレビジョン――通称テレビ見張器の前に席が出来た。山木はよく気がつき、むしろ過敏すぎる神経の持主だから、この役はうってつけだ。
 その山木は、博士の第三命令の直後、テレビ見張器の映写幕に向い、全神経を目に集めて、四方を見張っていたが、その彼は何を見つけたか、突然、
「おやッ」
 と呻《うめ》いて、テレビ見張器の拡大ハンドルを掴むと、それを急いで廻しはじめた。


   異形の生物


 テレビ映写幕には広々とした沙漠と、その向うにある密林とがうつっていた。
 山木が拡大ハンドルを廻すと、その密林は幕面の上を急速にこちらへ近づき、映像は大きくなって来た。
 密林を作っている木は、どこか松に似た逞しい灌木《かんぼく》であった。それが密生しているのだった。木の高さは十メートルぐらいはあるように思われた。かなり背の高い木であった。
 山木のおどろいたのは、その木の背の高いことでもなく、また密林の壮観でもなかった。その密林の或る箇所において、何か動いているもののあるのを見つけたからだ。それは密林の木間に見えたり隠れたりしている。
(火星の動物らしい)
 山木は、その姿をもっとはっきり見定めようとして、テレビ見張器の拡大をあげていったわけだが、その木の間にうごめくものはだんだん大きくはっきりと映写幕にうかびあがってきた。
 果して、それは動物だった。
 だが何という妙な形をもった動物であろうか。早くいえば、それは蛸《たこ》と昆蟲の中間の様なものであった。すなわち大きな頭部を持ち、それを細い体が重そうに持ちあげているのだ。頭部には、大きな目が二つついていた。鼻は見あたらず、その代りに絵にかいてある蛸の口吻《こうふん》そっくりの尖ったものが顎《あご》の上につき出ているのだった。その上に顔の両側に驢馬《ろば》の耳によく似た耳がついていた。それからたいへん奇妙なことに、頭のてっぺんに根きり蟲が持っているような長い触角らしいものが二本だか三本だか生えていて、それは非常に柔軟に見え、そしてさかんに頭の上で活動して居り、まるで触角で踊っているようにも見えた。
 その動物の首から下を見ると気の毒なくらい痩《や》せていた。小さな瘤《こぶ》のような胴中、それから三本のぐにゃぐにゃした腕、それから三本の同じような脚――この脚は、たしかに蛸の足を思わせるものであった。
 一体何だろうか、このえたい[#「えたい」に傍点]のしれない動物は……。山木はその動物のあたりに[#「あたりに」はママ]奇妙な姿にかぎりない興味をおぼえ、それを発見したことを報告するのを忘れていたくらいだった。
 その奇妙な動物は、木の間を縫って、あっちへ行ったりこっちへ行ったり、忙がしそうにしていた。そして彼らの或るものは、幹にぴたりと寄り添って、大きな目をぐるぐる廻し、触角を盛んにふり立てて、宇宙艇の方を注視している様子であった。
「……へ、へんな動物が見えます。沙漠の向うの、正面の密林の中です」
 山木はこのとき漸《ようや》く吾《わ》れに帰って、火星の動物を発見したことにつき、第一報を叫んだのである。
「なに、へんな動物だって……」
 デニー博士が、山木のうしろに近よった。山木は、テレビ見張器の映写幕の上を指した。
「あ、これか。いたな。やっぱりそうだったか。これはなかなか油断が出来ないぞ。相手はわれわれよりも相当に高級な身体を持っている……」
 デニー博士は、一大感心の有様で、木の間にうごめく生物を見つめた。
「先生、あれは何《な》んという動物ですか。蛸みたいですが、蛸なら林の中にいるのはおかしいですね」
 山木は、そういいながら博士の方をふりかえった。
「あれは蛸ではない。あれは多分、火星人だろうと思う」
「ええっ、火星人。あれが火星の人間なんですか」
「うん。まずそれに違いないであろうね。こうして見たところ、身体の工合が、わしがこれまでに研究し、想像していたところとよく一致しているからねえ」
「へえーっ。あれが火星人だとすると、火星人て気持が悪いものですね。僕はやっぱり地球の上と同じような人間が住んでいることと思っていましたが……」
「いや、そうはいかない。何しろ気候も違うし、火星の成因や歴史も違うんだし、そのうえに何万年も火星独得の進化と生長とをとげたんだから、地球人類と同じ形をしたものが、この火星の上に住んでいることは考えられなかったのだ」
 博士と山木が話しをしているうちに、他の乗組員も、テレビ見張器の前へぞろぞろと集って来た。誰も皆、火星人が見えるというので、興味をわかして集って来たわけである。
「いやらしい恰好をしているね」
「これじゃちょっとつきあい憎《にく》いね」
「どれが男で、どれが女かな」
「さあ……どれがどうなんだか、全く見当がつかない。とにかく“火星には美人が多い”なんていう話を聞いたことがあったが、あれは全然うそだと分ったわけだ」
「やれ、気の毒に……」
 どっと笑声が起った。
「先生、林の中に、火星人がずいぶんたくさん集結しています。なんだか気味が悪いですね。こっちへ向って来るのじゃないでしょうか」
 山木が、密林の奥にひしめき合って目を尖《とが》らせている火星人の大集団を見つけ出したので、デニー博士へ報告した。
 博士は、それにはもう気がついているようであった。
「……何とか平和的に、火星人と交渉したいものだ。が、油断は出来ない。こっちも十分に武装をして行かねばならぬ」
 博士は、進んで火星人に近づく心であったらしい。そして平和|裡《り》に、事をきめたい考えであることが分った。が、このとき火星人たちは、何思ったものか、急に密林から姿を現わした。そして広い沙漠を、まるで飛ぶようにしてこっちへ向って来るではないか。何百人、いや何千人、いやいやもっと多いのだ。まるで赤蟻の大群が引越しをするような有様で、隊伍をととのえて沙漠を横断し、この宇宙艇へ向けて殺到する勢いを示したのである。
 ああ、危機来る!
 こっちは僅か十人足らずの地球人類だ。相手は何万何十万と数知れぬ火星人の大集団だ。しかもこっちの者にとっては、勝手のちがう異境火星の上だ。デニー博士の一行は非常に不利な立場にある。


   迫る火星人


 事態はすこぶる険悪だった。
 頭のでっかい赤蟻が立ったような恰好の火星人の大群は、見事な隊伍をつくって、刻一刻、沙漠に腹這《はらば》いになった宇宙艇へ近づいて来る。
 わが火星探険団の指揮をとるデニー老博士は、指揮台の上に突立ち、テレビ見張器の六つの映写幕をじっと見つめて、身動きさえしない。
 ああ、このままで行けば、一行九名は、火星人の大群の襲撃をうけて、たちまち踏みにじられてしまいそうである。
 河合は、このときマートン技師のそばについていたが、技師が食料品をすこし食堂へ行って貰ってくるようにといったので、河合はいそいでそちらへ走った。
 食堂へ入ってみると、張とネッドが、有機|硝子《ガラス》の丸窓へ顔を押しつけて、外を一生けんめいに見ていて、河合の入って行ったのにも気がつかないようだった。
「おい、マートン技師からだ。ソーセージとアスパラガスとコーヒーを頼むぜ」
 河合の声に、張とネッドはびっくりして後を振返った。
「へえっ。食べるどころのさわぎじゃないじゃないか」
 と、ネッドが目を丸くした。
 張の方は「よろしい」と答えて、厨房《ちゅうぼう》へ駆けこんだ。
「いや、腹がへっては駄目だ。今のうち食べられるだけ詰めこんでおけと、マートンさんはいうのだ」
「羨《うらやま》しいなあ。僕みたいな食いしん坊でも、今はビスケット一つ食べようとは思わない」
 張が厨房から駆け戻ってきた。ソーセージとアスパラガスの缶詰と、コーヒーの入った魔法壜とを河合に渡した。
「ありがとう、ねえ、張君。これから先、いったいどうなるんだい」
 河
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