合は張に訊ねた。
「そんなこと、僕が知るもんか」
「牛頭仙人の力で、水晶の珠にうかがってみたらいいじゃないか」
「それはさっき、張君にやらせたんだよ」
 とネッドがわきから口を出した。
「おい張君。あの話を河合君にしておやりよ」
「あんな予言は駄目だよ」と張がいった。
「僕は自信がないんだ。でもネッド君がぜひやれというもんだから……」
「牛頭仙人が、自分の力を知らないじゃ困るね。とにかく河合君に話しておやりよ」
 ネッドが熱心にいうものだから、張ははずかしそうに語りだした。
「……つまりね、水晶の珠を見つめていると、こんな光景が見えたような気がしたんだ。僕たち四人がね。あの乳牛の箱自動車の上で、面白そうに狸《たぬき》踊りをおどっているのさ」
「へえ、狸踊り?」
「ほら、いつか山木君が教えてくれたじゃないか。何とか寺の狸ばやしの踊りだ。太い尻尾をぶらさげて、へんな恰好で踊るやつさ」
「ああ、あれか。證城寺《しょうじょうじ》の狸ばやしだよ」
「うん、それだ。で、僕たちが自動車の上で踊っていると、そこへ、ばらばらと赤いものが雨のように降って来るんだ。それで幻は消えた。おしまいだ」
「何だい、その赤いものが、ばらばらというのは……」
「それが分らない。火の子よりは大きいんだ。綿をちぎったほどの赤いものだ」
「すると焼夷弾《しょういだん》が上から降ってくるのかな」
「焼夷弾が落ちてくる下で踊るわけもないじゃないか」
 とネッドが異議を申立てた。
「だから僕は、そのうらないは、やがていいことのあるしらせだと思う」
「君は楽天家で、羨しいよ。とにかく今にそれが本当か嘘か分るだろう。あばよ」
 そういって河合は、食料品を抱《かか》え直すと、マートン技師の許へ走り戻った。
 河合が、ちょっと留守をしている間に、艇外の形勢はいよいよ険悪の度を加えていた。テレビ見張器で見ると、艇の四方はもはや完全に火星人の大群で包囲されていた。
 そして不気味な生物たちは、ひしめきあいながら、次第にじりじりと艇の方へ向って包囲の輪を縮めつつあった。
 と、とつぜん彼等の頭上に、青い花火のようなものが、ぱんぱんと炸裂《さくれつ》した。するとそれが合図と見え、火星人の大群は、まるで海岸にうちよせる怒濤《どとう》のようになっておどりあがり、そして非常な速さで四方八方からわっと艇へ殺到したのであった。遂に運命のきわまるときが来た。今やこの少人数の宇宙艇は、彼らのために踏みにじられるその寸前にある!
「エフ瓦斯《ガス》を放出せよ」
 デニー博士の号令がひびきわたった。と、その号令は次々へ伝えられた。
 器械がうなり出す。睡っていたような艇が震動をはじめる。と、もうもうたる褐色の瓦斯が、艇の腹の数ヶ所からふきだした。その瓦斯は、その重さが火星の大気と同じくらいか稍《やや》重いかの瓦斯と見え、艇よりはすこしあがるが、あまり上にはのぼらず、そして見る見るうちに艇をすっかり包んでしまった。
 見張器の映写幕にも、この瓦斯がひろがって行く有様が手に取るように眺められた。そして今や幕面は完全にこの褐色瓦斯に蔽われてしまったが、しかし、夜の闇さえ透して物の見えるテレビ見張器の特長として、エフ瓦斯をとおして四方の情景はあいかわらずはっきりと見えていた。
 そうなのだ。火星人の大群が先程までのあのすさまじい勢いはどこへやら、この瓦斯にぶつかってたちまち大混乱の状態となり、列を乱し、ころげまわって、吾《わ》れ勝《が》ちに向こうへ逃げてゆく有様が、おかしいほどはっきりとうつっていた。
「火星人は余程おどろいたらしいぞ。総退却だ。これで彼らも、そう無茶なことを仕掛けて来《き》はすまい」
 デニー博士は、ほっとした顔だった。
「今のエフ瓦斯というのは、どんな毒瓦斯なんですか」
 と、河合はマートン技師に訊《たず》ねた。
「あれかね。エフ瓦斯は毒瓦斯というほどのものでなく、軟い皮膚をすこしぴりぴりさせるくらいのものだ。しかし彼らをびっくりさせるには十分だったようだね」
 マートン技師は、そういって微笑した。


   興奮の地球


 それからもエフ瓦斯の放出は、やすみなく続けられた。瓦斯の厚い壁は、壊れた宇宙艇をすっかり包んでいて火星人の襲撃から安全に保護していた。
 一応危機が去ったので、デニー博士は、乗組員に交代で睡ることを命じた。
 しかし博士は休養をとらず、これから火星人とどのようにして交渉に入ったものかについて、幹部の人々と会議を始めた。
 それから一時間ほど経った後、艇内に歓呼の声が起った。
「無電が通じるようになったぞ。地球との無電連絡がとれるようになったぞ」
 えっ、無電が地球へ届くようになったか。それと聞いた乗組員は、いそいで無電室へ集った。寝たばかりの連中も、寝台からはね起きて無電室へ駆付けた。
「もしもし、KGO局ですね。……そうですよ、危機一髪のところで墜落を免れて着陸しました。……皆おどろいていますって。局へ電話がどんどんかかってきますって。自動車で乗りつける人もある。それは愉快だな。……こっちの乗組員の氏名ですか。まず艇長のデニー博士、それから……」
 地球の上では早くもこれが全世界に電波の力で報道され、大興奮の渦巻となった様子であった。会議中だったデニー博士も遂にマイクの前に引張り出された。
「余は、わが火星探険協会長に永年よせられたるアメリカ全国民の後援に対し、衷心《ちゅうしん》感謝の意を表するものであります。今やわが地球人類は、火星にまで足跡を印したのでありますが、われわれはその光栄のために、今日までのあらゆる苦闘を一瞬にして忘れてしまいました。さりながらわれわれの任務は重《じゅう》且《か》つ大《だい》でありまして、火星人との交渉はこれから始まらんとして居ります。われわれは地球人類の光栄と名誉を保持し、それを汚すことなく、この新しい使命について万全の努力を払おうとする次第であります。ただ心にかかることは、宇宙艇の大破損と、燃料の大部分を失ったことでありますが、只今もその善後策について、最善の途を考慮中であります。最後に余は、アメリカ国民諸君、いな全地球人諸君に深く期待し、この火星探険をしてわれらの生きとし生けるものの幸福と栄光へ導かんことを願うものであります。ありがとう」
 このデニー博士のあいさつは、非常な感激を地球上の人々に与えたようである。
 それから後は、無電室は猛烈に忙しくなった。公式の通信の隙間に、各通信社からの特別通信申込が殺到して、それにいちいちどう答えてよいのか分りかねた。なにしろこっちは只一つの無電装置が回復したばかりであって、とても地球からのおびただしい通信の申込みを満足させることができなかった。
 デニー博士が再びマイクの前に立って、われわれは今火星に着陸したものの、非常な危険に曝《さら》されて居り、火星探険記などについて今詳しい報告を送っている余裕のないことを正直に告げなかったとしたら、せっかく回復した宇宙艇の無電装置は使いすぎのため間もなく壊れてしまったことであろう。ようやく事態が地球上にも分かり、政府は、命令を以て、今後当分のうち、宇宙艇との通信は公報にかぎられることとし、一方デニー博士の要求に応じてあらゆる後援を惜しまず、その申出に待機することとなった。
 こうして地球と宇宙艇との通信さわぎは、一先《ひとま》ず治まり、無電員も楽になった。
 デニー博士は会議の席へ戻った。そしてそれから二時間、割合としずかな時刻が過ぎていった。
「いったい、今、時刻は何時なんだろうね」
 と、乗組員のひとりが、同僚に訊《たず》ねた。
「お昼頃だろうね。ほら、太陽は頭の上に輝いているよ」
 彼は丸窓を通して、上を指した。
「でもへんだぜ、この火星へ着陸してからもう四時間は過ぎたのに、太陽は初めからほとんど同じように、頭の上に輝いているんだからね」
「そんなばかなことがあってたまるか」
「だって、それは本当だから仕方がない」
「それはこういうわけさ」と、通りかかったマートン技師が笑いながらいった。
「火星の上では、一日が四十八時間なんだもの。つまり火星は地球の約半分の遅い速さで廻っているので、二倍の時間をかけないと一日分を廻り切らないのだ」
「へへえ、そいつはやり切れないな。三度の食事に、二倍ずつ食べないと、腹が減って目がまわっちまうぜ」
「なあに、一日に六度食べればいいのさ」
「いや、そうはいかないぜ。夜が二十四時間もつづくんだろう。二十四時間を何にも食べないで生きていられるだろうか」
「さあ、それはちょっとつらいね。途中で一ぺん起きて食事をし、それからまた続きを睡るってえことになるかな」
「なんだか訳が分らなくなった。どうも厄介な土地へ来たもんだ。はっはっはっ」
 一同は顔を見合せて大笑いをした。


   再襲来か


 火星人の大群が、宇宙艇の前方において、再び大々的の集結を始めたという山木の報告は、又もや乗組員たちの顔を、不安に曇らせた。
 いったん潮の引くように退いた火星人たちは、こんどは前よりも一層勢いをつよめて宇宙艇へ追って来つつあるのだ。
 火星人たちの人数がふえたばかりか、こんどは手に手に異様な棒を持っている。
 先が丸く膨《ふく》らんだ棍棒《こんぼう》みたいなものである。そればかりではない。彼らは高い櫓《やぐら》のようなものを後に引張っていた。それは四五階になっていて、どの階にも気味のわるい火星人の顔が、まるでトマトを店頭に並べたように鈴なりになっていた。そういうものが、密林の中から次第次第に現われ、数を増してくるのであった。
(いったい彼らは、どうしようという気だろうか)
 櫓と棍棒とおびただしい火星人の群!
 さっきはエフ瓦斯をくらって総退却した彼らだったが、こんどはそれに対抗する手段を考えて向ってきたものに違いない。
 艇内には、非常配置につけの号令が出、デニー博士はまたもや指揮台の上に立って、テレビ見張器に食い入るような視線を投げつけている。
 と、火星人たちが、手にしていた棍棒みたいなものを一せいに高くさしあげた。
 するとふしぎにも、風がぴゅうぴゅう吹きだした。沙漠の砂塵が、舞いあがった。と、宇宙艇を包んでいたエフ瓦斯の幕が吹きとばされて見る見るうちに淡《あわ》くなっていった。
 火星人たちは、どっと笑ったようである。櫓の上に乗っている火星人たちは、さかんに棒をぐるぐる頭の上でふりまわした。風は烈しさを増し、宇宙艇は荒天の中の小星のようにゆさゆさ揺れはじめた。
「これはえらいことになったぞ」
 乗組員たちは、転がるまいとして、一所けんめい傍にあるものに取付いた。
「重力装置を働かせよ」
 デニー博士が号令をかけた。
 ぷうんと呻《うな》って、重力装置は働きだした。宇宙艇はぴったりと大地に吸いついた。だからもう微動もしなくなった。
 火星人たちの送って来る風が一段と烈しさを加えた。
 だが、宇宙艇はびくともしなかった。しかしエフ瓦斯は噴出孔を出るなり吹きとばされて役に立たない。
 と、風がぴたりと停った。火星人たちは一せいに棍棒を下ろしたのだ。
 やれ助かったかと思う折しも、こんどは大きい青い岩のようなものが、彼らの中からとび出して、宇宙艇の方へどんどん投げつけられ始めた。
「やっ、手榴弾《てりゅうだん》か、爆弾か」
 こっちの乗組員は、顔色をかえたが、それはそういう爆発物ではないらしく、炸裂音《さくれつおん》は聞えず、ただどすんどすんというにぶい小震動が感じられたばかりであった。しかしそれは次第に数を増し、何百何千と艇の上に落ちて来た。
「瓦斯の噴気孔がふさがれました」
 困った報告が来た。
「なに、すると瓦斯は出なくなったのか」
「そうです。孔をふさがれちゃ、もうどうもなりません」
 その頃、火星人たちは、また上機嫌になって笑っているように見受けられた。
「仕方がない。あとは出来るだけ永く、彼らを艇内に入れないようにするしかない。全員、空気服をつけろ。いつ艇が破れて、空気が稀薄になるか分らないからね」

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