きわまるときが来た。今やこの少人数の宇宙艇は、彼らのために踏みにじられるその寸前にある!
「エフ瓦斯《ガス》を放出せよ」
 デニー博士の号令がひびきわたった。と、その号令は次々へ伝えられた。
 器械がうなり出す。睡っていたような艇が震動をはじめる。と、もうもうたる褐色の瓦斯が、艇の腹の数ヶ所からふきだした。その瓦斯は、その重さが火星の大気と同じくらいか稍《やや》重いかの瓦斯と見え、艇よりはすこしあがるが、あまり上にはのぼらず、そして見る見るうちに艇をすっかり包んでしまった。
 見張器の映写幕にも、この瓦斯がひろがって行く有様が手に取るように眺められた。そして今や幕面は完全にこの褐色瓦斯に蔽われてしまったが、しかし、夜の闇さえ透して物の見えるテレビ見張器の特長として、エフ瓦斯をとおして四方の情景はあいかわらずはっきりと見えていた。
 そうなのだ。火星人の大群が先程までのあのすさまじい勢いはどこへやら、この瓦斯にぶつかってたちまち大混乱の状態となり、列を乱し、ころげまわって、吾《わ》れ勝《が》ちに向こうへ逃げてゆく有様が、おかしいほどはっきりとうつっていた。
「火星人は余程おどろいたらしいぞ。総退却だ。これで彼らも、そう無茶なことを仕掛けて来《き》はすまい」
 デニー博士は、ほっとした顔だった。
「今のエフ瓦斯というのは、どんな毒瓦斯なんですか」
 と、河合はマートン技師に訊《たず》ねた。
「あれかね。エフ瓦斯は毒瓦斯というほどのものでなく、軟い皮膚をすこしぴりぴりさせるくらいのものだ。しかし彼らをびっくりさせるには十分だったようだね」
 マートン技師は、そういって微笑した。


   興奮の地球


 それからもエフ瓦斯の放出は、やすみなく続けられた。瓦斯の厚い壁は、壊れた宇宙艇をすっかり包んでいて火星人の襲撃から安全に保護していた。
 一応危機が去ったので、デニー博士は、乗組員に交代で睡ることを命じた。
 しかし博士は休養をとらず、これから火星人とどのようにして交渉に入ったものかについて、幹部の人々と会議を始めた。
 それから一時間ほど経った後、艇内に歓呼の声が起った。
「無電が通じるようになったぞ。地球との無電連絡がとれるようになったぞ」
 えっ、無電が地球へ届くようになったか。それと聞いた乗組員は、いそいで無電室へ集った。寝たばかりの連中も、寝台からはね起きて無
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