佐と別れるときに、銀座の小さい店のことを話した。すると、いずれお礼かたがたゲンドンの店を訪問するであろうといった。
源一は、看護婦たちにおくられて、にぎやかに病院を出た。そしてオート三輪車にまたがると、花の買出しに、もう一度郊外の道をすっとばしていった。
源一はハンドルをにぎって車をはしらせながら、おもいはいつの間にか七八年昔へとんでいた。
そのころよく店へ来たのんべえのヘーイさんだった。ヘーイさんは建築技師で、なかなかいい収入があったのに、気どることがきらいで、近所の二階家《にかいや》を一けん借りて生活していた。そして夜ふけによく源一のつとめている店の表戸をわれるようにたたき、ウイスキーや、かんづめを売れとわめいたものだった。みんなはいやがったが、一番小さい源どん少年だけは、ヘーイさんのこえがすると起きて戸をあけ、品物を売ってあげたのであった。そのヘーイさんが、少佐となって、日本へ来たんだ。うれしい出来事だ。
ふるわぬ店
ヘーイ少佐は、やくそくしたとおり、源どんのテントばりの店さきにあらわれた。
それはあの事件があってから、三週間のちのことであった。
「おう、ゲンドン、かわいい花を売っているね。よく売れるかい」
そういって少佐は、にこにこ顔ではいって来て、店の中をみまわした。
源一は、このみすぼらしいテント店にはこのごろお客もめったに入らないので、いすの背にもたれて「火星探検」という小説をよんでいたところだった。火星探検が、ほんとにこの小説のように出来ればいいなあ。原子力《げんしりょく》エンジンをつけたロケットにのって、くろぐろとした大宇宙をのり切って、やがて火星に近づいて行く……。「ああ、すばらしいねえ、いい気持だねえ。ゆかいだろうなあ」と、すっかり火星|探検者《たんけんしゃ》になりきっているところへ、源一は少佐から声をかけられたのだ。
源一は、あわてて本をふせると、立上って少佐をむかえた。
「ああ、いらっしゃい。よくいらっしゃいました」
源一はぺこぺこおじぎをした。少佐もそれをまねておじぎをした。少佐は日本語が上手につかえる。少年のときにも日本にいたことがあり、中学を卒業するとアメリカへ帰り、教育をうけ、大学を出て、建築技師としてはたらいているうちに、またこの日本へ来た人であった。
「足はどうですか。まだ痛みますか」
「すっかりなおった。君があのとき、すばやくかけつけて、すぐ病院につれていってくれたから、わるいばいきんも入らなかったんだ。だからこんなに早くよくなった。ありがとう、ありがとう」
「それはよかったですね。とにかく神さまがぼくをヘーイさんにひきあわせてくだすったのだと思って、かんしゃしています」
「ほんとだ。ふしぎなえんだね、ゲンドン」
「ヘーイさんの好きなお酒でも一ぱいあげたいけれど、今は何もないんでね」
「いらない、いらない、酒はぼくの方にうんとある。持って来てあげてもいい」
「ぼくは、酒をのみません」
「ああ、そうか」少佐は、それはざんねんだという顔をしたが、それから彼は改《あらた》まった調子で「この店は、よく売れるかね」と聞いた。
源一は、正直にちかごろすっかり売行のわるくなったことをのべた。値段を下げても買い手が来ないことをいった。
少佐はそれを聞いていて、うなずいた。
「花を売るためには、店をもっと美しくしなくてはならない。この店のテントはよごれていけない。なぜ近所のように家をたてないのか」
少佐はそういって、たずねた。そこで源一は、この一坪に家をたてるには一万円かかるが、とてもそんな金を自分はもっていないのだといった。すると少佐は、
「それならいいことがある。このつぎの土曜日にまた来るよ。待っていたまえ」と、なぐさめ顔でかえって行った。
すばらしい話
源一は、「それならいいことがある」と、ヘーイ少佐がなぞのようなことばをのこしてかえったので、それは何であろうと、たのしんで待っていた。
次の土曜日、ちゃんと少佐は、源一の店にすがたをあらわした。首をちぢめて、少佐は中へ入って来た。そしてかかえていた巻いた紙を源一の前にひろげた。
「ゲンドン。こういう店は、君の気にいらないだろうか」
少佐は、白い長い指で、図面のうえにぐるっと円をかいた。
「えっ、なんですって……」
源一はすっかり面くらった。少佐のひろげた図面には塔のような家がかいてあった。それは三階建《さんがいだて》になっていた。いや、地階があるから四階だ。
一階は表へひらいた店になっていて、たくさんの花の鉢をならべ、また上からは蘭科《らんか》の植物などをぶらさげてある絵までかいてあるのだった。
「こういう店を、君はもちたくないか」
少佐は、源一が目を皿のようにひらき、はあはあと胸をはず
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