自分も、そういう方にはあまりえんがない人間だとさびしく思った。
それから四五日のちのこと、店の前に一人の老婦人が立って、しきりに中をのぞきこんでいたが、そのとき源一は地下室からあがって来て、ひょいとその老婦人と顔を見あわせた。源一は、あっとおどろいた。
「あっ、矢口家《やぐちや》のおかみさんじゃありませんか。ぼく、源一ですよ」
「まあ、まあ……」老婦人もおどろきに目をまるくして、
「やっぱり、そうだったのね。源どん、お前さん、ほんとうに、ここに店を出しておくれだったのね」と、うれし涙であった。
とびだした名案
源一がうれし涙でむかえた老婦人こそ、この一坪の店を源一にゆずって東京を去った矢口家のおかみさんだった。焼けるまでは、おかみさんは、ここに煙草店をひらいていた。
「おかみさん。どうしてかえって来たのですか。樺太《からふと》へいっていたんでしょう」
「いいえ、それが源どん。あたしが途中で病気になったもんだから、樺太へは渡れなくて、仙台《せんだい》の妹の家に今までやっかいになっていたのさ」
「へえーッ、それはかえってよかったですね。で、まだ病気はなおらないのですか」
「もういいんだよ。このごろは元気で働いているくらいだから大丈夫よ。そればかりか、妹のつれあいにすすめられて山を買ってね、それがセメントの原料になるんで、あたしゃ大もうけをしちまったよ。病人どころじゃないやね」
「へえーッ、大したもんだな。じゃあ、このお店もおかみさんにかえしましょう」
源一は、とっさに決心をしてそういった。
「な、なにをおいいだね。この店はきれいに源どんにあげたんじゃないか。とりかえすなんて、そんなけちな考えは持っちゃいないよ。それよりもね、源どん。あたしがこんど東京へ出て来たのは、一つはこの店のあとが今どうなっているかを知りたいこと、それからもう一つには、やっぱり東京へ出て、新しい時代にふさわしい商売をはじめたいと思ってね、それで出て来たのさ、お金なら二、三百万はあるし、セメントならいくらでもあるんだが、なにかいい商売ないだろうかねえ、源どん」
「はっはっはっ。これはおそれいった。やっぱり商売の腕は、矢口家のおかみさんにはかなわねえや」と、源一は頭をかいて、
「その新しい商売ですがね、じつは、私も考え中なんですが、ひとつ私の方の仕事へのってくれませんかね」
「どんな
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