しわけないからね」
「ええ、ようがす。おかみさん、上から電線がたれていますから、頭をさげて下さい」
「あいよ、わたしゃ大丈夫だよ。源ちゃん、お前気をおつけよ」
車は、交番跡から銀座横丁へすべりこんだ。そしてすぐ停った。そこはすぐ裏通りの四つ辻だった。
「おかみさん、そこがお宅のあとですよ」
「まあ、きれいさっぱり焼けたこと」
声は元気だったが、老婦人の小さな目にきらりと涙が光った。
一坪《ひとつぼ》の土地
「おかみさん、お気の毒ですね」
源ちゃん――正しくいうと飛島源一《とびしまげんいち》は、箱車にうずくまっている老婦人に、おもいやりのあることばをかけた。
「しようがないよ。矢口家一軒だけじゃない、よそさまもみんな同じだからね」
「それはそうですけれど……」
「わたしなんか、しあわせの方だよ。だってさ、源ちゃんのおかげで三輪車にのせてもらって生命《いのち》は助かるし、大事な御先祖さまのお位牌《いはい》や、重要書類だの着がえだのは、こうして蒲団にくるんでわたしのお尻の下に無事なんだからね。だから大したしあわせさ」
「ほんとうに私たち運がよかったんですね。行手を火の手でふさがれて、もうこんどは焼け死ぬかと思ったことが四度もあったんですがねえ」
「みんな源ちゃんのお手柄だよ。あわてないで、正しいと思ったことをやりぬいたから、急場をのがれたんだよ。しかし源ちゃんは気の毒ね。わたしをすくってくれたのはいいが、そのかわり源ちゃんの持ち物はみんな焼いちまったんだろう」
「ええ、そうです。着たっきり雀《すずめ》というのになりました。もっともお店のためには、この車一台をたすけたわけですが、店の連中はどこへ行ったんだか、誰も見かけないんで、私は気がかりでなりません」
「どうしたのかね、ひょっとすると、逃げ場所が悪かったんじゃないかね。濠《ほり》の中にずいぶん死んでいるというからね」
二人は、しばらく黙っていた。
「そうそう、おかみさん、これからどうなさいます」
「わたしゃね、これから弟のいる樺太《からふと》へ帰ろうと思う。すまないけれど源ちゃん、この車で、上野駅まで送っておくれなね」
「はい、承知《しょうち》しました。しかし樺太ですって。ずいぶん遠いですね」
「でも、わたし身内《みうち》といったら、樺太に店を持っている弟の外《ほか》ないんだものね」と、矢口家のおか
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