て、舗道の上に降りたった。
 さあこれからハマダ撞球場へ乗りこむことになったのだ。うまく例のポスターを探しあてられるかどうか。行手は晴か曇か、それとも暴風雨《あらし》か。
 まだ夕刻のこととて、ハマダ撞球場は学生やサラリーマンで七台ある球台が、どれもこれも一杯だった。帆村はやむなくゲーム取が持ってきたお茶を啜《すす》りながら、台のあくのを待つよりほかなかった――という気持で、これ幸いと、場内のあちこちにぶら下っているポスターを眺めまわした。
「無い! いくら見ても無い。変だ」
 帆村はがっかりした。あってもよいはずのジョナソン氏のポスターが見えないのである。それがないようでは、折角の探偵事件がここで挫折する。それは全く困る。彼は腕ぐみをして次なる智恵をひねくった。
 しばらくすると、彼の口辺に急に微笑が現われた。彼は立ちあがってタオル蒸しと同居しているような恰好のマダムのところへ歩いていった。
「ねえ、マダム。ジョナソンのポスターが来ているだろう。あれを出しなよ。壁にかけとくと立派だぜ」
「ジョナソンのポスターって、あああれだわ、まだ丸めたまま置きっ放しになっていたわ。これなんでしょう」
 と、マダムは戸棚からぐるぐる捲きにしたポスターを取りだした。解いてみると、果してジョナソンと署名が印刷してある。帆村の第六感はうまく的中した。
 帆村は、そのポスターを壁に貼ると、ゲーム取に向って、なかなかあきそうもないから下へ行って紅茶をのんでくるからといい置いて外へ出た。
 外へ出るなり、彼は円タクを呼びとめて、車中の人となった。
「旦那、どこへまいります」
「うん、東京駅だ。時間がないから、急いでくれ」


   ロンドン塔


 帆村は、二等客車のなかに揺られながら東海道線を下りつつあった。
 辛《かろ》うじて彼は、午後六時きっかり東京駅発車の岡山行の列車にとびのることが出来た。いま列車は横浜駅のホームを離れ、次の停車駅大船までぐんぐんスピードをあげてゆきつつある。
 客室内は、がらんとすいていた。時間が時間だから、こんな鈍行《どんこう》列車の二等に乗る客は少かった。彼はポケットをさぐって、大切なノートをそっとひろげた。
 そこにはいつの間に書いたのか、※[#丸3、1−13−3]と符号をうった上のようなノートがとってあった。
[#ここから罫囲み]
[第三図]
※[#丸3、1−13−3]

       8
   _______
74□)□□□□□□
    □□□2
    ―――――
     □9□□

※[#丸4、1−13−4]ハ沼津市駅前、菊屋食堂ノ「ロンドン」塔ノ写真ヲ焼付ケテアル鏡ノ裏面。塔ノ上ヨリ三ツ目ノ窓ニ星印アリ
[#ここで罫囲み終わり]
 これは例の新宿追分ハマダ撞球場にしまってあった世界的撞球選手ジョナソンのポスターの裏に紫外線灯をさしつけて素早く読みとった文字の写しであった。これによると、割り算が三段となって、一段殖えた。
 帆村は躍起《やっき》となって、この月足らずの割り算に注意を向けた。第三段目に□9□□という四位の数字が殖えたが、これによって、謎の枠《わく》の中の数字をまた新しく類推できるにちがいないと思った。
 彼はノートを書きなおした。
[#ここから罫囲み]
[第四図]
※[#丸3、1−13−3]

       8←ハ
   _______
74A)BCDEFG
↑↑  HIJ2←ニ
イロ  ―――――
     K9LM
      ↑
      ホ

[#ここで罫囲み終わり]
 これについてまず分るのはDはJよりも小さいということだ。なぜなら、前にわかったようにJは5か9かであるがその下のホに9という数字が出ているから、ここへ9が出るためには、どうしても上のDの方が下のJより小さくなくては、そういうことにならぬ。
 するとDは、一桁上のCから1を下げてもらってJを引くことになる。
 すると今度はCが零であり得ないことになる。もしCが零なら、Dへ1を送って9が残るが、その下のIは9であるから、9−9=0 となってKが零にならねばならぬ。しかるにKは零ではないから枠が書いてある。Cは零であり得ないことがこれで分る。
 そうなると B=6 と確定する。なぜならば、Bの下のHは5で、更にその下には数字がない。而《しか》もCは零でなく、たとえ9であってもDへ1を取られて8を残すから、Iすなわち9が引けるためにはBは6の外に取るべき数字がないのである。
 またもうすこし深くDを研究すると、除数が 744 のときには D=4、また 749 のときには D=8 となる。
 もっともEが2より小さい1か零であるともう一つ上の数字になるが、それはまず少い場合といわなければならない――。
 そのほかのことは、まだどうにもはっきりさせようがなかった。帆村はノートを閉じて、車窓の向うにぐんぐん流れゆく田園風景に目をやった。畑はどこも青々としていて、平和そのもののように見えるのを感心しているうちに睡くなって寝込んでしまった。
 どの位睡ったかしらぬ。列車ががたんと揺れたので眼を覚ました。ちょうど今列車は電灯があかあかとついた駅の構内にスピードをゆるめて入っていった。駅名を見ると、沼津だ。正に午後八時五十五分のことであった。
 彼は列車を捨てて駅の外に出た。
 腹はおそろしく空《す》いていた。考えがあって、車内で喰べることを控《ひか》えていたのだ。考えとは外でもない。宝探しみたいな例の暗号手引によって、駅前の菊屋食堂に入って調べなければならぬとすると、ここは我慢して空きっ腹にして置く方が便利であったのだ。
 菊屋食堂は、大きな看板が出ているので、すぐそれと分った。
「姉さん。すっかり腹を減らしてしまったよ。いそいで食事をこしらえてくれないか。ええと、献立はエビのフライに、お刺身《さしみ》に、卵焼きに、お椀にライスカレーに、それから……」
 ウェイトレスがくすくすと笑いだした。あんまり多量の注文だからであった。
 帆村はそれをきっかけに、ウェイトレスと心やすくなってしまった。
「なんだなんだ、これは綺麗な橋がついているじゃないか」
 と、帆村は壁のところにちかよった。
「ロンドン塔の写真よ。昔その中で、たくさんの人が殺されたんですって。その中には王子様も交っていたのよ」
「へえ、君は物しりだね、そんな恐ろしいところとは見えないほど綺麗だ。なるほど」
 そのとき内から声があって、ウェイトレスを呼んだ。どうやら料理が上ったようである。――帆村は苦もなく、ロンドン塔を裏へひっくりかえして、鏡の裏面に紫外線ペイントで書いてある秘密文字を拾うことができた。
 それをノートへうつしとったときに、ウェイトレスが湯気《ゆげ》のたつ卵焼きを盆にのせて搬《はこ》んできた。帆村はなにくわぬ顔をして、卓子《テーブル》のところへ戻ってきた。
 次から次へと搬ばれてくる大味な料理をどんどん片づけながら、帆村は壁に貼ってある時間表へしきりに目をやっていた。
「十時二十五分、神戸行急行というのに乗るよりほか仕方がない」
 彼は次の旅を考えていたのだ。目的地は大阪であった。段々と西へ流れて東京から遠くなってゆくことが、なんとなく不安であった。彼はそれが常住の土地を離れた者の望郷病だと解し、自分の心の弱さを軽蔑した。
 食事がすんで時計を見ると、列車にのるまでまだ小一時間もたっぷり余裕があったので、彼は窓ぎわに涼《りょう》をとるような恰好《かっこう》をしながら、その実、例の鏡の裏から読みとった新しい暗号の発展を脳裡《のうり》に描いていた。
 彼のノートには、第五図のように書いてあった。
[#ここから罫囲み]
[第五図]
※[#丸4、1−13−4]

       8□
   _______
74□)□□□□□□
    □□□2
    ―――――
     □9□□
     □74□

※[#丸5、1−13−5]ハ大阪市新世界「アシベ」劇場内ニ掲出ノ「ロビンフッド」ノポスターノ右下隅。星印アリ
[#ここで罫囲み終わり]
 これで見ると答の二桁目が出ているが、枠で囲ってあるから、何の数字やらわからない。四段目の四数字のうち□74□と二字だけ分ったのは、有力なる手懸りだ。
 帆村はこれを整頓して、いままで分った数字を入れたり、新しい枠のなかに記号をいれたりした。それは別掲のとおりだった。(第六図)
[#ここから罫囲み]
[第六図]
※[#丸4、1−13−4]

       ハ
       ↓
       8X
   _______
74A)6CDEFG
↑↑  59J2←ニ
イロ  ↑↑
    HI
    ―――――
     K9LM
      ↑
      ホ
     N74P
      ↑↑
      ヘト

[#ここで罫囲み終わり]
 帆村は、しきりと名答を考えつづけた。
 ヘトが 74 と出ているから、ここへ覘《ねら》いをつけなければならない。答の二桁目はXであるが、除数の 74A にXを掛けたものが、N74P となるのである。
 ところでヘすなわち7がここに出るためには、除数すなわち 74A の 74 に対してXが決まってくるであろうと思われる。
 そこでXを零から9までにとって調べてみると、Xの値は次の二つのうちどっちかである。X=5? 9?だ。もっと説明すれば、Xが5なら、除数のはじめの二桁 74 との積は 370 となり、ヘに7が出る。またXが9なら、積は 666 となって6が出るが、これは A×X の項を加えると、当然 666 が 67?という風に7となる筈である。
 とにかくこうして、Xは5か9かのどっちかという見当になった。
 そこで更にすすんで、除数 74A のAが4の場合と9の場合とについて検討してみるのに、次のようになる。
 744 で X=5 のときには、答は 3720 となる。これは□74□に合わないから、仮定が合わない。
 次に同じく 744 で X=9 として答を求めてみると 6696 となり、これも□74□の形に合わないから駄目。
 こんどはAを9として、749 に X=5 を仮定してかけてみると、答は 3745 であるから、これは□74□と一致する。
 もう一つ、同じく 749 に X=9 を仮定してかけてみると、これも 6741 となって一致するのである。
 すると 744 は落第で、749 が合うことになる。
 されば A=9 と決定を見た。
 Xの方は5か9か、まだどっちとも分らない。
 Aが9ときまれば、HIJ2 は綺麗に計算ができて、5992 となる。HとIとは前から分っていたが、これをもって J=9 と定まる。
 あとはNが3か6か、またPが5か1かということになるが、それだけのことだ。
 ここまで考えて、帆村はやっと重い荷を一つ下ろしたような気がした。早く大阪へついてこの鍵《キイ》を解いてしまいたくて、たまらない。


   救難信号


 帆村は列車のうちに一夜を明かした。その翌朝の六時三十八分というのに、列車は大阪駅に入った。
 すこし神経がつかれたのか、頭が痛い。それを我慢して、大阪の街に一歩を印《しる》した。
 天王寺に近い新世界は、大阪市きっての娯楽地帯であった。そこにはパリのエッフェル塔を形どった通天閣があり、その下には映画館、飲食店、旅館、ラジウム温泉などがぎっしり混んでいた。
 帆村はもう一所懸命であったから、顔も洗わず、飯も喰べないでこの新世界へ車をとばしたのであった。
 アシベ劇場は、通天閣のすぐ脇にあった。しかしあまり早朝なので、表戸はしまっていて内部を覗《うかが》うよしもない。通りかかった女性に聞くと、まだ三時間ほど待っていなければならぬそうであった。彼はやっと落ちついて顔を洗ったり朝飯をとる時間を見出した。劇場が切符をうりだしたのを見ると、帆村はまっさきに館内へ入った。そして待ちに待った第五番目のノートは、うまくとれた。それは別掲のようなも
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