…」
「おい、また敗戦主義か。それだけはよして貰いたいね」
「そうだったな。よろしい、一つ大胆《だいたん》な仮説《かせつ》を立てて、そこから入《はい》り込むことにしよう」
私は、腕を組んで、改《あらた》めて室内を見渡した。
「ええと、メントール侯が、充分安心して暗号簿《あんごうぼ》をこの部屋に隠しているとしよう。すると、どんなところが安心のできる場所だろうか」
「おい、早くやってくれ」
「まあ、そうあわてるな」
「あわてはせんが、無駄に時間をつぶすな」
「ふーん、やっぱりあの蓄音機らしいぞ」
私は、この部屋に於ける唯一《ゆいいつ》の目ざわりな新時代の道具として、さっきから卓子《テーブル》の上の蓄音機に目をつけていた。そこで私は、傍《わき》へよって、蓋をあけた。
「おお」
私は呻《うな》った。蓄音機は、最近誰かが音盤《レコード》をかけて鳴らしたらしく、廻転盤には埃《ほこり》のたまっている上に、指の跡がまざまざついているのであった。そして針があたりに散乱しているところから見て、この蓄音機を懸けた者は、たいへん気がせいていたのだと思われる。
「すると、誰か既に、この蓄音機に目をつけて、さんざん探した者があるんだな」
私はちょっと失望したが、しかしすぐ気をとりかえした。あわて者は、肝腎《かんじん》の宝物に手をふれても、それと気がつかないだろう。まだ脈《みゃく》があるにちがいないと、私は合点《がてん》のいくまで調べる決心をした。
私は、蓄音機をかけてみようと思った。廻転盤の上には、音盤《レコード》が載っていなかった。
「音盤はどこにあるのかしらん」
私はあたりを見廻した。あった。
音盤を入れる羊の皮で出来た鞄が、小|卓子《テーブル》の上にのっていた。その中を調べてみると、音盤が十枚ほど入っていた。私はその一枚一枚をとりあげてラベルを見た。
これはいずれも英国の有名な某会社製のものであって、曲目は「ホーム・スイートホーム」とか「英国々歌」とか「トロイメライ」とかいう通俗《つうぞく》なものばかりであった。
私はその一枚をとって、蓄音機にかけてみた。ヴィオロンセロを主とする四重奏《しじゅうそう》で、美しいメロディーがとび出して来た。聴いていると、何だか眠くなるようであった。
しかし別に期待した異状はなかった。
「駄目だなあ」私は、次の音盤をかけた。これも異状なしであった。それから私は、また次へうつった。
それは丁度《ちょうど》八枚目をかけているとき、とつぜん外で銃声を耳にした。と、それにかぶせて、若い女の悲鳴が起った。
「おい、なんだ。どうしたのか」
私は白木の方をふりかえった。白木は窓のところに立ち、カーテンの蔭から、例のステッキに似せた軽機銃の銃口《じゅうこう》を窓外《そうがい》にさし向けたまま、石のように硬くなっていた。
「こっちを射撃しやがった。だが命中せずだ。例のげじげじ牧師に案内されて来た曲者《くせもの》一行の暴行だ」
といっているとき、またもや銃声が二三発鳴ったと思ったら、窓|硝子《ガラス》が鋭い音をたてて壊れて下に落ちていった。
「おい、暗号は見つかったか」
白木は、相変《あいかわ》らず石のように硬い姿勢を崩さないで、私にきいた。
「まだだよ。もう少しだ。じゃ外の方は頼んだぞ」
私はそう叫んで、あと二枚の音盤の調べにかかった。「ローレライ」に「ケンタッキー・ホーム」に「セレナーデ」に……と調べていったが、私は大きな失望にぶつかった。期待していた最後の二枚にも、遂に何の異状もなかった。暗号らしいものの隠されている徴候《ちょうこう》は、一向発見されなかったのである。
「そんな筈はないんだが……もし、蓄音機が暗号に無関係だとすると、これはもう簡単に手懸《てがか》りを発見することは不可能だ」私は失望して、白木の方を見た。
白木は、はっと身をひいて、壁にぴたりと身体をつけた。又銃声と共に、彼の傍の窓硝子が水のように飛び散った。
と、こんどは白木がひらりと身を翻《ひるがえ》して床の上に腹匐《はらば》いになると、例の機銃を肩にあてて遂に銃声はげしく撃ちだした。私の身体は、びーんと硬直した。
「おい、まだかね、まだ発見できないか」
白木は叫ぶ。私は、はっと吾《わ》れに戻った。
「うん……もうすこしだ。頑張っていてくれ」
私は、心ならずも嘘をつかねばならなかった。私は全身に熱い汗をかいた。ここですべてを諦《あきら》めてしまえば、これまでここに入りこんだヘボ密偵と同じことになる。私の頭の中には、蓄音機や音盤《レコード》やモールス符号やメントール侯爵の顔や島の娘の顔が、走馬灯《そうまとう》のようにぐるぐると廻る。
「何かあるにちがいないのだが……」私は室内をぶらぶら歩きはじめた。それから心を落ちつけ、目を皿のようにして、室内の什器《じゅうき》を一つ一つ見ていった。その間に、白木の撃ちだす銃声が、しきりに私の心臓に響いた。
「あっ、これかな……」
私は、思わずそう叫んだ。暖炉《だんろ》の上においてある音叉をとりあげた。それは非常に振動数の高いもので、ガーンと叩いても、殆んど振動音の聴えぬ程度のものだった。しかしその音叉にも別に異状はなかった。
「これも駄目か。が――、待てよ」
そのとき私は、メントール侯が、いつも音叉《おんさ》をもちあるいて、相手に歌をうたわせながら、音叉をぴーんと弾《ひ》いて耳を傾《かたむ》けていたことを思い出した。と同時に、私は一種の霊感《れいかん》ともいうべきものを感じて、再び蓄音機の傍によって音盤《レコード》をかけてみたのであった。
蓄音機は再び美しいメロディーを奏《かな》ではじめた。――私は、その傍《そば》へ音叉を持っていって、ぴーんと弾いてみた。蓄音機から出てくる音楽と、音叉から出る正しい振動数の音とが互《たがい》に干渉《かんしょう》し合って、また別に第三の音――一|種《しゅ》異様《いよう》な唸《うな》る音が聴えはじめたのであった。が、それはまだ成功とはいえなかったけれど、白木の奮戦《ふんせん》に護《まも》られながら、これをくりかえしていくうちに、私は遂《つい》に凱歌《がいか》をあげたのであった。「海を越えて」の音盤!
その音盤をかけながら、音叉をぴーんと弾くと、音楽以外に顕著《けんちょ》な信号音が、或る間隔《かんかく》をもって、かーんと飛び出してくるのであった。音叉を停めれば、それは消え、音叉をかければ、その音盤が廻っているかぎり、かーんかーんという音は響く。これこそ、時限《じげん》暗号というもので、音と音との間隔が、暗号数字になっているのであった。私は白木の傍へとんでいって、手短《てみじ》かにこれを報告した。
「そうか、遂に発見されたか。うん、そいつは素晴らしい。それでこそ、日本人の名をあげることが出来るぞ。じゃそれを持って、早速《さっそく》ずらかろう」
「大丈夫か、外から狙っている奴等の包囲陣《ほういじん》を突破することは……」
「なあに、突破しようと思えば、いつでも突破できるのだ。只、君が仕事の終るのを待っていただけだ。かねて逃げ路の研究もしておいたから、安心しろ」
私は白木のことばを聞いて、大安心をした。そして早速《さっそく》宝物の音盤と、謎を解く音叉を、紙に包んだ。
「さあ、こっちへ来い」
白木は、にっこり笑いながら、悠容《ゆうよう》とせまらない態度でいった。そして私の腕をひったてると、隠《かく》し扉《ドア》を開いて、さあ先に入れと、合図《あいず》をした。
危地突破《きちとっぱ》については、日頃からの白木の腕前を絶対に信頼していいであろう。今度もわれわれの勝利である。
底本:「海野十三全集 第7巻 地球要塞」三一書房
1990(平2)年4月30日初版発行
初出:「講談雑誌」
1942(昭和17)年1月号
入力:tatsuki
校正:浅原庸子
2003年3月23日作成
2003年5月11日修正
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
前へ 終わり
全3ページ中3ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
海野 十三 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング