ってきたのだ」
 白木は、このときようやく、この島にやってきた事情を、はっきり物語った。
 暗号の鍵を探しあてるためだという。その暗号の鍵とはどんな形のものであるか。暗号帖《あんごうちょう》のようなものか、それともタイプライターのように器械になったものか、或いは又別な形式のものであろうか。
 このいずれであるかについて、白木自身は、全く何にも分っていないらしい。島の娘をつかまえて、メントール候の話に花を咲かせたのも、実は私に、探査《たんさ》の手懸りを掴《つか》ませるためだったというのだ。
 では、私は何を掴み得《え》たであろうか。音楽マニアにも似たメントール侯のこと、その侯が、音叉を持ちあるいて美声《びせい》の人を探し求めていること、侯が島の娘たちにたいへん人気があること。それから、侯は今から半歳ほど前から消息を断っていること――
 たったこれだけのことではないか。しかも、これが暗号の鍵の正体をつきとめる材料らしいものは、一つも見当らない。私は、ひとりぎめにすぎる白木の暴挙《ぼうきょ》に対し、すくなからぬ不満を覚《おぼ》えたのであるが、事ここに至っては、そんなことを云っても何にもならない。白木のやつは、どうやらドイツ軍人たちに、この暗号の鍵は、われわれの手によらなければ永久に発見できないであろうといったような見得《みえ》を切って来たものらしい。どっちにしても私は雲を掴むような仕事に、大汗をかかねばならなくなったのである。
 私が当惑《とうわく》しきっているのにはお構《かま》いなしに、白木はボーイにいいつけ、持って来させた銀の盆の上の酒壜《さけびん》を眺め、にたにたと笑いながら、
「おい、まだここには、こんな素晴らしい逸品《いっぴん》があるんだぜ。どうだ、陣中見舞《じんちゅうみまい》として、一杯いこう」
 と、コップをとって私にすすめる。
 私は酒の入ったコップをそのまま小|卓子《テーブル》の上に置いて、
「おい白木、宝探しの暗号の鍵とはどんなものか、もっと詳しいことを聞かせろ」
 というと、白木は、急いでコップの酒をぐっと呑んで、
「もう別に、附け加えるような新しい説明もないよ。要《よう》するに、イギリス政府は、こうなる以前に、早くも本土を喪《うしな》うことを勘定にいれて、金貨の入った樽《たる》を方々の島や海底に隠したり、艦船用の燃料|貯蔵槽《ちょぞうそう》を方々の海中に沈めたり、重要書類を沢山の潜水艦に積んで、無人島にある秘密の根拠地に避難させたり、移動用の強力な無線電信局を擬装《ぎそう》の帆船《はんせん》に据《す》えつけたりしてさ、一旦は本土を喪うとも、やがて又|勢《いきおい》をもりかえして、ドイツ軍を圧迫し、本土奪還《ほんどだっかん》を企《くわだ》てようとし、そのときに役立つようにと、本土の外の重要地点において用意|万端《ばんたん》を整《ととの》えておいたというわけだ。今われわれの関係している暗号の鍵というのも、その本土の外に保管されてある重要機密の一つなのさ。その時号の鍵が、このゼルシー島の、しかもメントール侯の城塞内に隠されていることは、極《きわ》めて確実なのさ。それをわれわれの手でもって探し出そうというのだ」
 白木は、今になって、すこぶる興味ある話を、べらべらと喋《しゃべ》り出すのであった。このへんは、大体のところ彼の横着《おうちゃく》から来ているのであるが、又一つには、初手から私を無駄に心配させまいとしての友情が交っていることも確かだった。だから、白木に対し、正面から抗議を申込むわけにもいかない筋合《すじあい》があった。
「あの城塞にあることは確実だというが、なぜ分る?」
「これは、ドイツの諜報機関《ちょうほうきかん》の責任ある報告で、フリッツ将軍のサインまでついているから間違いなしだと思っていい。実は、メントール侯は、既にドイツの第五列のため捕えられ、あの程度のことまでは白状したんだそうだ。しかし、それから奥のことについては、侯は一切口を緘《つぐ》んで語らないので、ドイツ側じゃ、業《ごう》を煮《に》やしているらしい。この島へも、ドイツ側は上陸して、なるべく人目にたたないように城塞へ入り込み、いろいろ調べもしたが、ついに宝探しは徒労《とろう》に終ったんだそうだ。それにこの島は今のところ、民主国側へも枢軸国側へもはっきり色を示していない国際島《こくさいとう》なんだから、行動をとるにしても、万事非常にやりにくいんだ。そうでなければ、あの鼻息の荒い連中が、われわれの前へ頭を下げてくる筈《はず》がない」
 白木のことばによって、私には、だんだん事情が明《あきら》かになってきた。そして、これは今までにない重大任務だと思った。
「じゃあ、いつからあの城塞へ入り込むつもりかね」
 と、私が訊《き》くと、白木はどうしたわけか、唇まで持っていった盃を呑みもせずに下に置いて、大きく溜息《ためいき》をついて、
「明日だ。ひょっとしたら、遅すぎるかもしれないが、明日にしよう。今日いくのは危険だ」
 といって、何をか考え込む様子だった。


   城塞見物《じょうさいけんぶつ》


 その夜は、娘さんたちに約束のとおり、白木はホテルの広間を借りきって、豪華なダンスの会を催《もよお》した。
 その盛会だったことは、呆《あき》れるばかりで、白木は始終鼻をうごめかしながら、溌剌《はつらつ》たるお嬢さんや、小皺《こじわ》のある夫人たちに、あっちへ引張られ、こっちへ引張られして、もみくちゃにされていた。あとから白木の弁解するところによると、これも重要なる作戦の一つで、われらの旅行目的をカムフラージュし、且《か》つはメントール侯の日常を知っている娘さんたちを味方につけて、翌日以後大いに利用しようという魂胆《こんたん》だったということである。
 さて、その翌朝《よくあさ》とはなった。
 私たちは、軽装《けいそう》して、宿を出た。物好きに城塞見物《じょうさいけんぶつ》をやって楽しもうという腹に見せかけ、ホテルのボーイに充分の御馳走や酒類を用意させて、お伴《とも》について来させる。その上に、例の溌剌たるお嬢さんがたを全部、招待して、まるで、移動する花園の中に在《あ》る想《おも》いありと、側《はた》から見る者をして歎《たん》ぜしめたのであった。これくらいにやらなければ城塞の番人は、こっちに対して気を許すまいと思われたからであった。
 わが一行は、坂道をのぼっていった。
 陽はつよく反射して、咽喉《のど》が乾いてこたえられなかった。わが一行は、方々で小憩《しょうけい》をとった。そのたびにレモナーデだ、ハイボールだなどと、念の入ったことになる。だから、私たちが城塞の下についたころには、私たち二人を除《のぞ》いたあとの一行全部は、後遅《おく》れてしまったのであった。
「おい白木、これじゃしようがないじゃないか」
 と、私がいえば、白木はにやりと笑って、
「いや、これでいいんだよ。皆を待つふりをして、城塞を外からゆっくり拝見といこうではないか」
 と、彼は、太いステッキをあげて、爆弾に崩《くず》れた石垣のあたりを指すのであった。
「例の宝物は、どこにあるのか、君は見当がついているのかね」
「さあ、よくは分らないが、何としても、メントール侯の居間の中にあると思うんだ。尤《もっと》も、これまでにメントール侯の居間は、幾度も秘密の闖入者《ちんにゅうしゃ》のために捜査されたらしいが、遂に一物も得なかったという。だから、宝物はまだ安全に、そこに隠されてあるのだと思う」
「ふーん、心細い話だ」私が、溜息《ためいき》と共にそういうと、白木は何を感じたか、私の傍《そば》へつと寄り、
「おい六升男爵。そうお前さんのように、何から何まで疑い深く、そして敗戦主義になっちゃ困るじゃないか。始めからそんな引込思案《ひっこみじあん》な考えでいっちゃ、取れるものも取れやしないよ」
「そうかしら」
「そうだとも。たしかにこの部屋にあるんだ。だから探し出さずには置かないぞ――とこういう風に突進していかなくちゃ、そこに顔を出している宝だって、見つかりはしないよ。引込思案はそもそも日本人の共通な損な性質だ」
 白木は一発、痛いところをついた。そうかもしれない。私たちは、従来の教育でもって、どうもそういう性格がむきだしになっていけない。取れるものも取れないと、白木の警告した点は、さすがに身にしみる。
「おーい、待ってよう」
 このときようやく、お嬢さん方の中で、一等|健脚《けんきゃく》な一団が、私たちの視界の中までのぼってきた。
 それは五人ばかりの一団だった。
 先登《せんとう》に駈《か》けあがって来た娘の顔を見て、私の心臓は少し動悸をうった。それはバーバラという非常に日本人に近い顔立ちの娘で、昨日から私の目について、望郷病《ぼうきょうびょう》らしいものを感じさせられたのであった。
「ずいぶん、足が早いのね」
 と、バーバラは、他の四人をずんと抜いて、私たちの間に入ってきたが、そのときあたりを憚《はばか》るような小声《こごえ》で、
「これは内緒《ないしょ》よ。気をつけないといけないわ。この村のげじげじ牧師のネッソンが、見慣《みな》れない七八人の荒くれ男を案内して、下から登ってくるわ。あたし望遠鏡で、それを見つけたのよ」
「やあ、お嬢さん、それはありがとう。で、そのネッソンという奴は、荒くれ男を使って、どんな悪いことをするのかね」白木の顔が、ちょっと硬《かた》くなった。
「これまでに、あのげじげじ牧師の手で、密告されて殺されたスパイが、もう五十何名とやらにのぼっているのよ」
「へえ、そうかね。私たちは、スパイじゃないから安心なものだが、油断《ゆだん》のならない話だね。で、その七八人の荒くれ男というのは一体、どこの国の人たちかね」
「さあ、そんなこと、分らないわ――。あら、お友達が来るわ――その人達は、イギリスの海賊じゃないかしらと思うのよ。もう、何のお話も中止よ」
 バーバラがここまでいったとき、彼女の部隊は、賑《にぎ》やかな声をあげて追いついた。
 白木は、このとき私にそっと合図をした。そこで私は、彼のうしろについて、そこに見える城塞《じょうさい》の小門《こもん》をくぐった。白木は、私の方をふりむいた。そしてステッキを叩いていうには、
「これが買って来た軽機銃《けいきじゅう》だよ。どうやらこいつの役に立ちそうな時が来そうだ」といった。


   謎《なぞ》の音叉《おんさ》


 メントール侯の居間《いま》に入りこんだ。
 番人はいたが、白木は石垣《いしがき》の方を指さして、あとからあのとおり娘たちがのぼってくるから、冷い飲物と、ランチをひろげる場所を用意してもらいたいというと、その番人は両手をひろげて、ほうと大きな声をたてると、にやにやと笑って、厨《くりや》の方へ駈けこんでいった。
 私たちは、その隙《すき》に、曲った大きな階段を音のしないように登っていったのであった。
 メントール侯の居間は、幸《さいわ》いにも破壊されずにあった。それは、聞きしにまさる豪華なものであって、中世紀この方の、武器や、酒のみ道具や、狩猟《しゅりょう》用具などが、いたるところの壁を占領していた。また大きな卓子の上には、古めかしい書籍が、堆高《うずたか》く積んであり、それと並んで皮でつくった太鼓のようなものが置いてあった。只一つ、新しいものがあるのが目についた。それは蓄音機《ちくおんき》であった。
「おい、早いところ宝さがしだ。君には、何か手懸りが見つかったかね」白木が、私にそういった。
「冗談じゃない。今部屋をぐるっと見廻したばかりだ」
「炯眼《けいがん》な探偵は、さっと見廻しただけで、宝でも何でも、欲しいものを探しあてるのだけれど……」
「じゃあ、君がそれをやればいい」
「いや、今度ばかりは、おれは駄目さ。始めからそう思っていたし、それにこの部屋を一目見て断念したよ。おれには科学は苦手さ。君に万事《ばんじ》を頼む」と、いつになく白木は、あっさり匙《さじ》をなげて、窓のところへいった。
「頼まれても困るが…
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