だって、どうしても思い出せないのよオ」そう言って鼻声を出しているのは、先刻のナンバー・ワンのゆかりだった。
「あんたは、冗談を言っているんだ。よオ、あとでウンと奢ってやるから、早くそいつを出しとくれ」そういっているのは、まだ聞いたことのない若い男の声だった。
「冗談いってやしないのよ、本当なの。一平さん、ごめんなさい、ねえ」
 おお、相手の若い男というのは、一平なのだ。帆村は階段の中途に突立って思わず声をあげるところだった。
「莫迦《ばか》なやつだなア、貴様は、ううん」一平が苦しそうに呻った。なにか余程重大なものを、ゆかりに預けたのを彼女が無くしたものらしい。
「番頭さんによく訳を言って掛合うといいわ。あたしも、もうせん、あすこの店の質札をなくして困ったけれど、話をしたら、簡単に出してくれたわよ」
 どうやらゆかりが無くしたのは、一平の質札らしい。なぜ質札みたいなものを、わざわざゆかりに預けたんだろう。
「貴様にはもう頼まないや」
 そういうと、一平は裏口へ出て行った。
 戸外へ出ると一平は、あたりを気にしながら、早足にドンドン駈けだした。彼は電車道を越えて、大久保の長屋町の方に走りこ
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