眼は眩んだ。
 イライラしてくる数十秒間、やっと眼が闇に慣れてきた。
 すると、眼の前に、ボーッと光る猫の眼玉のようなものが見えるではないか。ギョッとして反射的に身を引いたが、よく見ると何のことだ、天井裏の小さな節穴だった。
(こいつはいいものがめっかった)
 帆村は、節穴の方に、ジリジリと這いよった。節穴は思ったより大きく一銭銅貨大もあった。それに片眼をあてて、ソッと下の方を覗いてみた。
「呀《あ》ッ」
 孔の真下には、果して、顔面を真紅に血潮でいろどった一個の惨死体が、ほのぐらい室内灯の光に照しだされて、横たわっていたのだった。それは、年の頃は五十がらみの男だった。彼は、寝床の中に、天井の方を真直向いて睡っているところを、射たれたものらしい。傷は致命傷だったと見えて苦しみもがいた様子は一向になかった。
 折から下では、ドシンドシンと凄じい音がして、その度に天井までビリリビリリと響いてくるのだった。警官たちが駈けつけて、いよいよ、厳重な板戸をうち破っているのだろう。
 帆村は屋根裏へ這いあがったついでに、そのあたりの様子をみて置きたいと思った。それで懐中電灯を落したあたりを手さぐりで探してみた。まず手にあたったのは、柱の切り屑のような木片だった。のけようと思ってひっぱったが、しっかり天井裏にくっついている。その横の方に手を廻すと、ヒィヤリと金具らしいものが、指先にふれたので、それをグッと掌のうちに握った。
「おや、これは懐中電灯ではない」
 ズシリと重みのある、そして大変冷たい物体だった。暗闇の中に、仔細に手さぐりをしてみると、正しくそれはピストルだった。
「こんなところに、ピストルが落ちていた」
 彼は一瞬にして或る場面を想像した。この屋根裏に忍びこんだ犯人が、この節穴から、下の老人を狙いうったのであると。では先刻ムサシノ館前の十字路で聞いたように思った音響は、このピストルの音だったのかも知れない。
「オイ、誰かッ。降りてこい!」
 いきなりサッと明るい光線が帆村の横顔を照した。警官が、さっきのぼって来た押入の天井裏から、こちらを誰何《すいか》したのだった。
「僕は……」
「文句があるなら後でいえ。サッサと降りて来ないと、ぶっ放すぞ」
 本気にぶっ放すかも知れない警官の意気ごみだった。帆村は苦笑いをして、それ以上の頑張りをやめ、拾ったピストルだけを獲物に、そのまま引返したのだった。
 警視庁から捜査課長大江山警部などの、刑事部首脳が駆けつけてくるまでの帆村荘六は、滑稽な惨めさに封鎖されていた。
「外山君」と大江山課長は、その警官の名を呼んだ。
「帆村探偵の素状を一応調査しておいた方がいいだろうかね」そういって警官の非礼を婉曲に帆村荘六に詫びるのだった。
 さて正式の取調が始まった。
 殺されたのは、このカフェ・アルゴンの主人である虫尾兵作《むしおへいさく》だった。
 その隣室にいた女性は、同人の妾である立花おみねと呼ぶ者だった。
 誰が殺したか。
 殺した手段は、帆村が発見したピストルによることは、大体明らかであって、なお屍体解剖の上で確かめられる手筈になった。では何物が、天井裏にのぼって、あの節穴からカフェ・アルゴンの大将虫尾兵作を狙い射ちにしたのか。
「おみねさん」と大江山警部は、悄気《しょげ》きっている大将の妾に言葉をかけた。
「この部屋には寝床が二つとってあるが、一つはお前さんの分で、もう一つは誰の分なんだい」
「ハイ。それはアノ……」
「はっきり言いなさい」
「ハ、それは、なんでございます、うちのナンバー・ワンの女給、ゆかり[#「ゆかり」に傍点]の寝床なんです」
「ウンそうか。で、そのゆかり[#「ゆかり」に傍点]さんは見えないようだが、どうしたんだい」
「それがちょっと、アノ、昨夜出たっきり帰ってまいりませんので……」
「なァ、おみねさん。胡麻化《ごまか》しちゃいけないよ。敷っぱなしの寝床か、人が寝ていた寝床か、ぐらいは、警視庁のおまわり[#「おまわり」に傍点]さんにも見分けがつくんだよ」
 このとき帆村の頭のなかには、ネオン横丁の出口のところで見た怪しの人影のことがハッキリ浮かんできたのだった。
「言えないね」と大江山警部は顎《あご》をなでた。
「じゃ別のことを訊くが、大将は誰かに恨みを買っていたようなことは無かったかね」
「それはございます。妾の口から申しますのも何でございますが、ここから四軒目のカフェ・オソメの旦那、女坂染吉がたいへんいけないんでございますよ。このネオン横丁で、毎日のように啀《いが》み合っているのは、うちの人と女坂の旦那なんです。いつだかも、脅迫状なんかよこしましてね」
「脅迫状を――。そいつは何処にある」
「主人が机のひきだしにしまったようですが……」と言っておみねは机をかきまわしていたが
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