に彼自身は金と同じように気が変になり、女たちも薬を断《た》たれて、一勢に中毒者としてその筋に発見されるに至ったのだった。中でもチェリーの中毒症状は殆んど致命的《ちめいてき》だと診断を下《くだ》された。しかし一体誰が、丘田医師のところからヘロインを盗み出したのだ。丘田医師はかねてヘロインを手にしてからというものは、パントポンの代りに、この粗製品を使って世間を胡魔化《ごまか》していたことは、帆村の調査によって証拠だてられたところだ。――実をいうと、帆村はこのことについて何も云わないのであるが、丘田医師のところへ検《しら》べに行った夜、ゴールデン・バットの傍《そば》の橋の上から、なにか白い紙包を川中に投じたが、あれが丘田医師のところにあったヘロインではあるまいかと、私は考えている。あの高い棚の上にあった銀玉《ぎんだま》はきっと真中から二つに割れるボンボン入れのようなものであったろう。
海原力三《うなばらりきぞう》は無罪となり、放免された。
しかし丘田医師は、あの夜から、どこへ逃げたものか、行方不明である。――しかし後日談を云うと、あれから三ヶ月ほどして、帆村は大阪の天王寺《てんのうじ》のガード下に、彼らしい姿を発見したという。しかし顔色はいたく憔悴《しょうすい》し、声をかけても暫《しばら》くは判らなかったという。丘田医師は、今もさる病院の一室で、根気《こんき》のよい治療を続けているという。流石《さすが》は医師である彼のことだと、医局では感心しているそうだ。だが元々医師であって、モルヒネ劇薬の中毒が恐ろしいことはよく判っている筈なのに、どうして彼がモヒ中毒に陥《おちい》ったのか。これはまことに興味ある疑問である。
そのことについては、吾が友人帆村荘六も大いに知りたがっていたところだが、或る時|当《とう》の丘田医師から聞きだしたといって、秘《ひそ》かに話してくれた。嘘《うそ》か真《まこと》かは知らぬけれども、「……丘田氏は、自分でモヒを用いた覚えのないのに、中毒症状を自分の身体の上に発見したそうだ。注射もせず、喫いも呑みもせぬのにどうして中毒が起ったか。その答は、たった一つある。曰《いわ》く、粘膜《ねんまく》という剽軽者《ひょうきんもの》さ」
そういわれた瞬間、私の眼底《がんてい》には、どういうものか、あのムチムチとした蠱惑《こわく》にみちたチェリーの肢体《したい》が、ありありと浮び上ったことだった。
底本:「海野十三全集 第2巻 俘囚」三一書房
1991(平成3)年2月28日第1版第1刷発行
初出:「新青年」
1933(昭和8)年10月号
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5−86)を、大振りにつくっています。
入力:tatsuki
校正:花田泰治郎
2005年5月26日作成
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