、切っても切れぬ腐《くさ》れ縁《えん》のあるものがあって、いつも密輸を強制される。密輸といっても小さい船の中であるから、たびたび繰返しては見付かってしまう。だから、一つ又一つと苦心をして新手《あらて》の方法を考えなければならない。最近ではエドガア・ポオもどきに、密輸入品を人目につかぬ所に隠す代りに、反《かえ》って人目《ひとめ》に極《ご》くつきやすいところへ放り出して置くのが流行《はや》っていると、こんな話を面白|可笑《おか》しく、この海原力三《うなばらりきぞう》という船員が話して聞かせた。
 さて例の金《きん》青年と来ると、身体が大きいばかりで男前がよいというのでもなく、スポーツマンらしい垢《あか》ぬけたところがあるのでもなく、どちらかと云えば男として美の要素の欠けた青年だった。迚《とて》も海原力三などとは、恋の競争などは思いもよらぬ劣勢者《れっせいしゃ》と思われた。それがあのカフェ・ゴールデン・バットの女にもてること大変なものだった。金が入って来ると、十人近い女は自分の持ち番の客の有る無しに係《かかわ》らず、ドッと喚《わめ》いて一斉に彼に飛びついてゆくという騒ぎである。それがなんとも形容しがたいような嬌声《きょうせい》を張りあげて、あっちからも、こっちからも金の胸にぶら下るのだ。まるで一つの麩《ふ》を目懸けて、沢山の緋鯉《ひごい》真鯉《まごい》がお互に押しのけながら飛びついてくるかのように。
 そのときに金はどんな顔をしているかというのに、一向嬉しそうにも楽しそうにも見えないのだから不思議である。唯《ただ》、隅っこの席へ行ってドカリと腰を下ろす。そこは彼のために、いつも取って置きの場所だった。そこで彼は悠々《ゆうゆう》と一本の煙草を取り出す。するとまた大騒ぎである。十人ばかりの女が誰一人のこらず、てんでに帯の間から燐寸《マッチ》を出し、シュッと火をつける。まるで燐寸すり競争をやっているようなものだ。莫迦莫迦《ばかばか》しくて見ていられない。
「ばか、ばか、煙草が燃えてしまうじゃないか」
 そのとき金は、ほんの微《かす》かにニコついて、煙草の火をつける。彼がフーッと煙を吹き出すと女どもは、身体を蛇のようにねじらせて、
「ねェ、ねェ」「ねえッたら、ねェ」
 と鼻声をあげる。そこで金は、懐中をさぐって、卓子《テーブル》の上へポーンと煙草の函《はこ》を投げだす。わーッというので、女どもはその函をひったくって(それは大抵《たいてい》、あの君江の手に入るのが例だ)、ひったくった女が、子供に菓子を分けるように、朋輩《ほうばい》どもの手に一本ずつ握らせてやる。貰った方では、その金青年お流れの煙草に、パッと火をつけて貪《むさぼ》るように吸って、黄色い声をあげる。
 左様《さよう》に豪勢《ごうせい》な(併《しか》し不思議な)人気を背負《しょ》っている金青年の心は一体誰の上にあったかというと、それは君江の上にあった。その君江なる女がまた愉快な女で、金の女房然《にょうぼうぜん》としているかと思えば、身体に暇があると、誰彼なしに愛嬌《あいきょう》をふりまいたり、情《なさ》けを尽したりした。だから君江という女は、金とは又別な意味で、客たちの人気を博していた。
 しかし満《みつ》れば虧《か》くるの比喩《ひゆ》に洩《も》れず、先頃から君江の相貌《そうぼう》がすこし変ってきた。金青年に喰ってかかるような狂態《きょうたい》さえ、人目についてきた。それでいて、結局最後に君江は金の機嫌を取り結ぶ――というよりも哀訴《あいそ》することになるのだった。
 これに反して金青年の機嫌は、前から見ると少し宛《ずつ》よくなって来たようであった。それは、これまで煙草を欲しがらなかったチェリーが、彼の訓練によって煙草を喫いはじめたからである。
「煙草って、仁丹《じんたん》みたいなものネ」
 とチェリーは云った。
「煙草は仁丹みたいなものは、よかったネ」
 と金は笑った。女達も釣りこまれてハアハア笑いだしたが、君江だけがどうしたものか、ツと席を立って調理部屋の方へ姿を消したっきり、いつまで経っても出てこなかった。
 ――そのようなカフェ・ゴールデン・バットの帝王の如き人気者が、見るもむごたらしい兇行《きょうこう》を受けたものだから、私は非常に駭《おどろ》きもしたし、一体誰にやられたのかと、普段から知っている誰彼の顔をあれやこれやと思い巡《めぐ》らした。
 丘田医師の家は、すぐ判った。私の長話に大変時間が経過したような気がされることであろうが、アパートを出てからここまで、正味《しょうみ》四五分の時間だった。
 電鈴《ベル》を押すと、すぐに人が出て来たのは意外だった。迎えてくれたのは、三十四五の、涼しそうな髭を立てた、見るからに健《すこや》かそうな和服姿の紳士だった。
「先生は?」

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