叮嚀《ていねい》に挨拶をすると、薬瓶の沢山並んだ部屋から、大きな帳簿をもって来た。帆村がそれを開いたのを見ると、細《こまか》い罫線《けいせん》が沢山引いてあって、そこに細い数字が書き込んであった。
そこで彼は、丘田医師の欄を拡げて、古い日附のところから、その細い売買数量を丹念に別紙へ筆写しはじめた。
外へ出ると、帆村はどんどん先に歩いて丘田医師の玄関に立った。案内を乞うと、太ったお手伝いさんが出て来たが、丘田氏は幸い在宅《ざいたく》とのことだった。私は何ヶ月振りかに、その応接室に通った。
「いや中々結構な住居《すまい》だネ」と帆村は大いに興《きょう》がった。そこへ丘田医師があらわれた。
「やあ其《そ》の後《ご》は――」と帆村は馴々《なれなれ》しく挨拶《あいさつ》をした後で直ぐ云った。「今日は本庁の臨時雇《りんじやとい》というところでして、ちょっと先生のところの劇薬の在庫数量を拝見に参りましたが」
「なに劇薬の在庫数量ですか。それは又珍らしい検査ですネ」そういう丘田医師の態度には、すこしの狼狽《ろうばい》のあともなかった。「じゃ向うの調剤室までお出でを願いましょうか」
帆村は私を促《うなが》して診察室を出た。調剤室はすこし離れた玄関脇にあった。その中へ入ると、プーンと痛そうなくすりの匂いが鼻をうった。三方の高い壁には、十四五段もありそうな棚が重《かさな》っていて、それに大小とりどりの薬壜が、いろいろのレッテルをつけてギッシリ並んでいた。
劇薬は一隅《いちぐう》に設《もう》けられた戸棚の中に厳重に保管されてあった。丘田医師は鍵を外して、ガラガラとその扉《ドア》を開くと、黒いレッテルや赤いレッテルの貼ってある小形の壜が、気味のわるい圧力を私達の上になげつけた。
帆村は隅から一つずつ、その小さい壜を下すと、蓋のあるものは蓋をとり、中身を小さい匙《さじ》の上に掬《すく》いとってみたり、天秤《てんびん》の上に白紙を置いてその上に壜の内容全部をとりだして測《はか》ったり、また封の切ってないものは封緘《ふうかん》を綿密に検べたり、なかなか念の入った検《しら》べ方《かた》だった。始めは感心していたものの、私はだんだん飽《あ》きてきた。その退屈さから脱《のが》れるために、何か面白いものでもないかと調剤室の中をズッと見廻した。
しかし別にこれぞという異《ことな》った品物も見当らなかった。唯一つ、背の低い私にはちょっと手の届きかねる高い棚の上に、直径が七八センチもあろうと思われる大きい銀玉《ぎんだま》が載っていた、その銀玉は、黒縮緬《くろちりめん》らしい厚い座布団《ざぶとん》を敷いて鈍《にぶ》い光を放っていた。どうやら煙草の錫箔《すずはく》を丹念に溜《た》めて、それを丸めて作りあげたものらしかった。いくら煙草ずきの人でも、これだけの大きさの銀玉を作るには少くとも三四年は懸《かか》るだろうと思われた。
私はあとで丘田医師に訊《たず》ねてみようと思って、なおもその銀玉を見つめていたのであるが、そのとき妙なものに気がついた。それは銀玉の上から三分の二ぐらいのところに、横に一本細い線が入っていることだった。よくよく見るとそれは線というよりも切れ目のように思われた。
(オヤオヤ、この銀玉はインチキかな)
そう思って私は手を伸《のば》しかけたとき、いきなり私の洋服をグッと引張ったものがある。はッと思って見廻わすと、引張ったのは、紛《まぎ》れもなく帆村だった。丘田医師は、脚立《きゃたつ》の上にあがって、毒劇薬の壜をセッセと下していて、それは余りに遠方に居たから、私の洋服を引張ったのは帆村の外には無い。
――とにかく私は気がついて、銀玉を見ることを停《や》めてしまった。
「もう、その辺でいいですよ」帆村は丘田医師に声をかけた。
「もういいですか」
「そこで鳥渡《ちょっと》お尋ねいたしますが」といって帆村は鉛筆で数字を書き入れていた紙片を取上げて丘田氏に云った。「パントポンの現在高が、すこし合いませんネ」
パントポンというのはモルヒネ剤であるが精製した上等のものだった。
「そんなことは無いでしょう。よく調べて下さい」
「いや確かに合いませんよ。警察の方に報告されている野間薬局売りの数量と合わんですよ」
「そりゃ変ですネ。少いということは無い筈《はず》なんですがネ」丘田医師の眼は自信あり気に光っていた。
「そうです。少くはないのです。少いのはまだ始末がいいと思うんですが、現在高が非常に多すぎる……」
「多すぎるのは、いいじゃないですか」
「困るんですよ」と帆村はパントポンの壜に一眄《いちべつ》を送りながら云った。「なにか他のモルヒネ剤で間に合わしたために、パントポンの数量が残っているのじゃありませんか。例えばヘロインとか……」
「ヘロインですって、ヘ
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