ワーッと脳貧血が起りそうになった。それほどむごたらしい傷口だった。
「おお、金《きん》さん。可哀想《かわいそう》に……」と番人は声を慄《ふる》わせた。「助かりますか」
「金さんというのかネ」と帆村は云った。「金さん、まだ脈が続いている。無論意識は無いがネ。至急医者だ、警察も急ぐが、それより前に医者だ」
「医者は何処が近いですか、爺さん」私は番人の腕をとった。
「医者はあります。ここを向うへ三町ほど行ったところに丘田さんというのがある」
「じゃ爺さん、ちょっと一走り頼む」
「わしは、どうも……」
 番人は尻込《しりご》みをした。その結果、どうしても私が行かねばならなくなった。医師のところへゆくとすれば、怪我人《けがにん》の様子をよく見て行って話をせねばならないと思ったので、私は無理に気を励《はげ》まして、血みどろの被害者の顔を改めて見直した。
「おお、これは……」
 と私は駭《おどろ》きに逢って、とうとう声に出した。
「どうした、オイ。知り合いか」と帆村も駭《おどろ》いて私の肩を叩いた。
「これあネ」私は彼の耳に口を寄せた。「これあ先刻《さっき》云ったゴールデン・バットの君江とややっこしい仲で評判の男さ」


     2


 私は医者を迎えるために、外へ飛びだした。丘田医師というのは、ゴールデン・バットの近くに診療所を持っていた。それだから私は、さっき帆村と一緒に通った道をもう一度逆に帰ってゆかねばならなかった。
 その道々、私の全神経は、今見た怪我人のことで占領されていた。
 金《きん》と呼ばれる彼《か》の男の顔を覚えたのは、忘れもしない私が最初バットの門をくぐったときのことだった。沢山客もあるなかで、なぜあの男のことをハッキリ印象づけられたか。そうそう思い出したが、まだもう一人、あのときに覚えた男がいた。その人のことを先に云うが、それは海員らしく、女たちにしている話が如何にも面白かったので記憶に残っている。あまり大きな人ではなかったが、陽《ひ》にやけた男らしい男で、その上、どの海員たちもがそうであるように、非常に性的魅力といったようなものが溢《あふ》れていて、女の子にはチヤホヤされそうに見えた。彼のしていた話というのは、むろん航海中の出来ごとについてだったが、中で一番私の注意を引いたものは、密輸入に関するものだった。船員の中には、陸上の悪漢団《あっかんだん》と
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