。振《ふり》だしへもどって、はじめからやり直さねばならない。研究の費用はどうするんだ。何を喰って研究をつづけるのだ。
ぼくは、のこり少い持物をほとんど全部|叩《たた》き売った。ああ、やさしかった母親の残してくれたかたみの指環も売った。寒い冬を凌《しの》ぐためにはぜひとも必要なオーバーさえ人の手に渡した。学者として生命にもかえがたい秘蔵の書籍三千冊も売り払った。ベッドさえ手放した。そしてこのあばら家へ転がりこんだ。……あとに残ったのは、今この部屋に転がっているものだけだ。実験の器具、ぜひ必要な本と研究録、わずかの生活道具だけになってしまった。
ぼくは元気をだして最後の研究にとりかかった。そのときぼくは、自分の健康がもうとりかえしのつかない程そこなわれているのに気がついた。それからのくる日くる日を悪寒《おかん》と高熱になやみながら、ぼくは新しい道から研究を進めていった。……十月十一日! 忘れもしない、十月十一日だ。暁の光が窓からさしこんできたとき、三日間徹夜でつづけた研究が、遂に実を結んだ。見よ、ぼくの掌《てのひら》の上にのっている一本の紐《ひも》は、手ざわりだけがあって形はなかった。
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