なたを早く、博士に紹介しておいた方がいいと思ったもんだから、黙って連れていったんだ」
「ああ、金博士は、驚異《きょうい》に値《あたい》する人物だ。一体あの人は、中国人かね、それとも日本人かね」
「そのことだよ」
 と、私は、グラスの酒を、きゅうとのみ乾《ほ》して、
「一体、金という名前は、中国にもあるし、日本人にもある。それから朝鮮にもあるんだ。もちろん満洲にもあることは、君も知っているだろう。ところで博士は、その中の、どこの人間だか知らないといっている。博士は捨児《すてご》だったんだ。たしかに東洋人にはちがいないが、両親がわからないから、日本人だか中国人だか分らないといっている」
「赤ちゃんのときは、何語を話していたのかね」
「それは広東語《カントンご》だ。もっとも、博士がまだ片言《かたこと》もいえないときに、広東人の金氏が拾い上げて、博士を育てたんだからねえ、赤ちゃんのときに広東語を喋《しゃべ》ったのは、あたり前だ」
「ふしぎな人物だ。そして、あの穴倉《あなぐら》の中でなにをしているのかね」
「博士は、科学者だ。いや、もっと説明語を入れると、国籍のない科学者だ。国籍のない人といっても、ユダヤ系というわけではない。博士は曰《いわ》く、わしは国籍こそ無けれ、あくまで東洋人だといっている」
「で、博士は一体、毎日どんなことをやっているのか」
「博士は、なんでも、気に入った科学をとりあげて、どんどん研究を進めている。今は、宇宙線と重力《じゅうりょく》との関係を研究しているが、今までにも、たくさんの発明がある。その中で、かなり古臭《ふるくさ》くなった発明を、方々の国に売って、莫大《ばくだい》な金を得ている。博士の資産《しさん》は、何百億円だか見当がつかない。が、それよりも驚異に値するのは、博士の自主的研究は独得なる発展を遂《と》げ、今世界中で一等科学の進んだアメリカや、次位《じい》のドイツなどに較《くら》べると、少くとも四五十年先に進んでいると、或る学者が高く評価している。だから、博士は、科学に関しては、世界の人間宝庫《にんげんほうこ》であるともいわれている」
 私が最大級の讃辞《さんじ》を博士に捧《ささ》げていると、ロッセ氏は、そうかそうかと、ペルシャ猫《ねこ》のように澄《す》んだ瞳《ひとみ》をくるくるうごかして、しきりに感服《かんぷく》の面持《おももち》だった。
「だから、博士がうんといえば、あなたの設計した電気砲も、博士の秘密工場の手で実際に作ってくれるだろう。そうすれば、あなたの念願している英艦隊《えいかんたい》の撃滅《げきめつ》のことも――」
「いや、博士は、初速の速い電気砲が気に入らないらしい。むしろ、速度の遅い、そして射程の長い砲弾を考え出せといわれたが、僕には、何のことだか分らないのだ。なぜなら、速度を遅くすることと、射程を長く伸ばすこととは、互いに相《あい》傷《きず》つける条件なんだからねえ」
「うむ、まるで謎々《なぞなぞ》だね」
「そうだ、謎々だ。それも解答のない謎々を出題されたような気がする。博士は、ひょっとしたら、僕をからかったのかもしれない」
「そんなことはないよ。博士は、からかうなんて、そんな人のわるいことはしない。ああまで真剣で、大真面目《おおまじめ》なんだ。謎々をかけたにしても、博士は必ずその解答のあることを確《たしか》めてあるのだと思う」
「そうかなあ。速度の遅くて、射程の長い、そして命中率百パーセントの砲弾! そんなおそろしいものが、この世の中にあるとは、どうしても思われないが……いや、僕たちは、既成《きせい》科学に対し、すっかり囚人《しゅうじん》になっているのがいけないのかもしれない」
 ロッセ氏は、そういって、ぶるぶると身顫《みぶる》いをすると、急いでグラスを唇のところへ持っていった。


     4


 私たちが外に出たときは、夜もだいぶん更けて、さすがの南京路《ナンキンろ》も、人影が疎《まば》らであった。
 二人は、アルコールにほてった頬を夜風に当てながら、別に当てもなく、路のあるままに、ぶらぶら歩いていった。私たちの話題は、やはり金博士と、そして博士よりロッセ氏に与えられた奇怪なる謎々とに執着《しゅうちゃく》していた。
 それはもう、四五丁も歩いた揚句《あげく》のことだったと思うが、ロッセ氏は、急に両の手を頭の上にのばし、拳固《げんこ》をこしらえて、まるで夜空に挑《いど》みかかるような恰好《かっこう》で、はげしく振り廻しはじめた。たいへん昂奮《こうふん》の様子である。
「おい、ロッセ君。一体、どうしたのか」
「うん。やっぱり、われわれは、金博士に騙《だま》されたんだ。あんなばかばかしいことが出来てたまるものか。砲弾が低速で走れば、たちまち落ちるばかりではないか。高速であればこそ、遠いところへも届く」
「それはそうだね」
「あの金博士の意地悪《いじわる》め。僕は、英艦隊を一挙《いっきょ》にして撃沈《げきちん》したいため、うまうまと博士の見え透《す》いた悪戯《いたずら》に乗せられてしまったんだ。ちくしょう、ひどいことをしやがる」
「……」
 ロッセ氏は、天に向って、しきりに博士の名を呪いながら、停っては歩き、そして又停っては歩きした。よほど口惜《くや》しそうだった。
 私は、博士のことを、そんな人物だとは思わないが、ロッセ氏から、のろのろ砲弾についての討論を聞いているうちに、だんだんと氏のいうところも尤《もっとも》だと思うようになった。
「なるほど、反対条件だねえ」
「博士よ、豚に喰《く》われて死んでしまえ」
「まあ、そういうな。背後《うしろ》をふりかえってから、ものをいって貰おうかい」
 ふしぎな声が、とつぜん、私たちのうしろから聞えたので、私ははっと思った。
「誰だ?」
「あっ!」
 生れてからこの方、私はこんなに愕《おどろ》いたことは初めてだった。悲鳴をあげると共に、私は愕きのあまり、鋪道《ほどう》のうえに、腰をぬかしてしまった。なぜといって、私が振り返ったとき、そこには声をかけた筈《はず》の誰もいなかった。しかし何物も居ないわけではなかった。私は、まっ黒の、大きな筒《つつ》のようなものが、私の背中にもうすこしで突き当りそうになっているのを発見して、愕いたのである。それは、どう見ても、口径《こうけい》四十センチはあると思う大きな砲弾であったのである。
「どうだ。この砲弾が見えるかね」
 砲弾が、ものをいった。ふしぎな砲弾であった。そういいながら、砲弾は、私の鼻先《はなさき》を掠《かす》めてそろそろと向うへ、宙を飛んでいった。大体地上から一メートルばかり上を、上から見えない針金《はりがね》で吊《つ》られたかのように落ちもせず、すーっと向うへいってしまった。そして最後に、私は、その砲弾が辻《つじ》のところを、交通道徳《こうつうどうとく》をよく弁《わきま》えた紳士のように、大きく曲《まが》ったのを見た。そして間もなくその怪《あや》しい砲弾は、ビルの蔭に見えなくなってしまった。なんというふしぎなものを見たことであろうか。夢か? 断《だん》じて夢ではない。
 ふと、傍《かたわら》を見ると、ロッセ氏も、鋪路《アスファルト》のうえに、じかに坐っていた。氏も、私と同様に、腰を抜かしたのにちがいない。
「見ましたか、今のを……。ねえ、ロッセ君」
 私は、氏の肩を、ぽんと叩《たた》いた。
 するとロッセ氏は、とつぜん吾れにかえったらしく、ふーっと、鯨《くじら》のようにふかい溜息《ためいき》をついた。そして私に噛《かじ》りついたものである。
「ロッセ君、しっかりしたまえ」
「見ました、たしかに見ました。しかし、僕は気が変になったのではないだろうか。大きなまっ黒な砲弾が、通行人のように、落着きはらって、向うへいったのを見たんだからね」
「それは、私も見た」
「砲弾が、ものをいったでしょう。あの声は、たしかに金博士の声だった。金博士が、砲弾に化《ば》けて通ったんだろうか。わが印度《インド》では、聖者《せいじゃ》が、一団《いちだん》の鬼火《おにび》に化けて空を飛んだという伝説はあるが、人間が砲弾になるなんて……」
「ほう、なるほど。あの声は、金博士の声に似ていた。それは本当だ」
 私は、ロッセ氏には答えず、思わず自分の膝を叩いた。


     5


 金博士|秘蔵《ひぞう》の潜水軍艦|弩竜号《どりゅうごう》の客員《きゃくいん》となって、中国大陸の某所《ぼうしょ》を離れたのは、それから、約一ヶ月の後だった。
 もちろんロッセ氏も、共に博士の客であった。
 弩竜号は、おどろくべき精鋭《せいえい》なる武装船《ぶそうせん》であった。総トン数は、一万トンに近かったが、潜水も出来るし、浮かべばちょっとした貨物船に見えた。弩竜号に関しては、ぜひ報告したい驚異がいろいろあるが、本件の筋にはあまり関係がないから、ここには記さない。
 弩竜号は、大陸を離れて五日目には、灼熱《しゃくねつ》の印度洋《インドよう》に抜けていた。その日のうちに、セイロン島の南方二百|浬《カイリ》のところを通過し、翌六日には、早やアラビア海に入っていた。
「ソコトラ島とクリアムリア群島との、丁度《ちょうど》中間《ちゅうかん》のところへ浮き上るつもりです」
 と、金博士が、地図の上を指でおさえながらいった。
「博士、もっと、例の反重力弾《はんじゅうりょくだん》のことについて、話をしていただきましょう」
「ああ、あなた方を愕かしたあのものをいう、のろのろ砲弾のからくりのことかね。印度洋へ入ったら、いう約束だったから、それでは話をしようかね。からくりをぶちまければ、他愛《たあい》もないことなのさ。砲弾が、ものをいったのは、砲弾の中に、小型の受信機《じゅしんき》がついていて、わしの声を放送したんだ」
「それは、もう分っています。それよりも、なぜ、あのように低速で飛ぶのですか。落ちそうで、一向《いっこう》落ちないのが、ふしぎだ」
「それは、大したからくりではない。重力を打消《うちけ》す仕掛《しかけ》が、あの砲弾の中にあるのだ。これはわしの発明ではなく、もう十年も前になるが、アメリカの学者が、ピエゾ水晶片《すいしょうへん》を振動させて、油の中に超音波《ちょうおんぱ》を伝えたのだ。すると重力が打消され、油の中に放りこんだ金属の棒が、いつまでたっても、下に沈んでこないのであった。その話は、知っているだろう」
「ええ、その話なら、知っています」
「そのアメリカ人の着想《ちゃくそう》に基《もとづ》いて、わしが低速砲弾に応用したんだ。つまり、砲弾の中に、それと似た重力打消装置《じゅうりょくうちけしそうち》がある。もし重力を完全に打消すことができたら、砲弾は、地球と同じ速さで、地球の廻転と反対の方向に飛び去るわけだが、それはわかるだろう」
「なるほど、なるほど」
 と、私も前へのり出した。
「しかし、重力をそれほど完全に打消さず、或る程度打消せば、それに相当した速度が得られる。低速砲弾においては、ほんのわずか重力をうち消してあるばかりだ。それでも、途中で地面に落ちるようなことはない」
「それはいいが、砲弾の飛ぶ方向は、どうするのですか」
 ロッセ氏が、息をはずませて訊《き》く。
「それは飛行機や艦船《かんせん》と同じだ。舵《かじ》というか帆というか、そんなものをつけて置けば、いいのだ。操縦は遠くから電波でやってもいいし、砲弾の中に、時計仕掛《とけいじかけ》の運動制御器《うんどうせいぎょき》をつけておいてもいい。――それはまあ大したことがないが、わしの自慢したいのは、この砲弾は、はじめに目標を示したら、その目標がどっちへ曲ろうが、どこまでもその目標を追いかけていくことだ。だから、百発百中だ」
「ほう、おどろきましたな。目標を必ず追いかけて、外《はず》さないなんて、そんなことが出来ますか」
「くわしいことは、ちょっといえないが、軍艦でも人間でも、目標物には特殊な固有振動数《こゆうしんどうすう》というものがあって、これは皆違っている。最初にそれを測《はか》ってお
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