遺憾ながら、私めにはまだ相分りませぬ」
「うん。これからはもう身軽いそちの身体じゃ。早く赴《おもむ》いて、早く引捕えい。――」
早く赴いて、早く引捕えい……か――と虎松は帯刀の邸を出る途端に、その言葉が舌の上に乗ってきた。早く赴いて、早く引捕えられるものなら、帯刀自身で出馬してもらいたいものであると思った。それにしても、あの狸親爺め、よく五年で捜索打切を声明したものではある。……
「うん、こいつは読めた。――」
そういった虎松の脳裏には、帯刀の娘お妙と千田権四郎との花嫁花婿姿がポーッと浮びあがった。あれが両人を晴れて娶合《めあ》わせるキッカケだったんだ。
疑問の殺人鬼
五ヶ年の間、帯刀の遠謀で保留されていたお妙の婿取りは、果して間もなく盛大にとり行われた。虎松も招ばれて末座《まつざ》に割のわるい一役をつとめさせられたが、お開きと共に折詰を下げてイの一番に帯刀の邸をとび出した。彼は外に出ると、あたりを見廻した上で、塀に向ってシャアシャアと長い尿をたれた。
「オヤ、誰だッ――」
誰も居ないと思った虎松の背後を、スーッと人の通りぬける気配がした。彼は吃驚《びっくり》して尿をやめて背後を振りかえった。
「……」
そこに予期した人影が、不思議にも見当らなかった。ただ――それから一町ほど先で、カチリと金属の擦《す》れあう疳高《かんだか》い音響が聞えた。
「な、なんだろう――今のは?」
通り魔か? 通りすぎた気配だけあって、姿のない怪人! 生命の満足に残ったのが虎松にとって大きな倖《しあわせ》だったといえる。虎松は雪駄《せった》を帯の間に挿むと、足袋跣足《たびはだし》のまま、下町の方へドンドン駈け下りていった。
「やあ、そこへ行くなあ親分じゃございませんか」
虎松はギョッとして暗闇に立ち止ったが、提灯《ちょうちん》の標《しるし》を見て安心した。
「ほう、三太か。……いま時分何の用だ」
「へえ、これはよいところでお目に懸りやした。実はお上《かみ》からのお召しでござります。なんでも、今宵辻斬天狗が大暴れに暴れとりますんで……。それにつきまして、これから帯刀様御邸へお迎えに出るところでござりました」
「そんなに暴れるのか」
「伺いますと、正に破天荒《はてんこう》。もう今までに十四、五人は切ったげにござりまする」
「ほほう、十四、五人もナ?」
「さようで。――しかも切られたのが、手先の中でも一《ひと》っぱし腕利《うでき》きの者ばかり……」
「ふうーん」と虎松は呻《うな》った。
「今どこまで追ってるんだ」
「連雀町《れんじゃくちょう》から逃げだして、どうやら湯島《ゆしま》の方へ入った様子でござります」
「ほう、湯島といやあ、これァまた後戻りだわ。……さあ、一緒について来い、三太!」
「合点でござんす」
虎松は暗闇の中をかきわけるようにして韋駄天《いだてん》ばしりに駆けだした。三太もこれに続く……。
湯島まで行ってみると、殺人鬼は弓町《ゆんちょう》の方へ曲っていったとのこと。
「これァいよいよもって後戻りだわ」
と虎松は呟いた。先刻《さっき》出てきた帯刀邸も、正にこの弓町にあったから。
此方《こちら》は帯刀邸だった。花嫁花婿は座を下って奥に入ったが、若侍どもはいまや酒宴の最中というところへ、殺人鬼が邸近くで暴れているという報告があったから、さあたまらない。一座は俄かに悪性《あくせい》に活気づいた。
「むざむざと十四、五人も切らせるたァ、それは切らせる方に手落ちがあるのだ。よォし、これから行って、拙者の腕を見せてくれる!」
「いや、それでは拙者も連れていってくれ」
「ならぬならぬ。魔物退治は是非とも拙者にお委せあれ」
というようなわけで、いつまで経っても衆議がまとまらない。すると中で一人がずいと進み出て、
「静まれ、静まれ」と両手を高く挙げて一同を制し「さように各々方《おのおのがた》が争っては、誰がゆくことに相成っても不服の残るは当然のこと。さて此処に、絶対に不服の残らず、その上ことの外面白い思いつきがござる。――」
と、一座をズーッと身廻わす。一同はワイワイとどよめいた。(早くそれを云え)と催促が懸る。
「では申そう」と憎々しいまでに勿体《もったい》をつけて「――実は、各々方は誰方《どなた》も此拠に足をとめて行かぬこととなさるので厶《ござ》る。そしてこの興味ある討伐を、われ等の英雄にして、今夜随一の果報者たる花婿権四郎めに譲るので厶る。いかがで厶るナ?」
「名案じゃ」「名案、名案!」と、たちまち一せいに拍手があって、若侍は半分は好意的に、あと半分はいま紅閨《こうけい》にお妙を擁《よう》しているであろうことを岡焼《おかやき》的に、この緊急動議を決定してしまった。そして酒の激しい勢いでもってワッと立ち上ると、床杯《し
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