、僕は愕き且《か》つ感心したことであった。
『放送された遺言《ゆいごん》』は、僕の書いた科学小説の第二作であって、昭和二年「無線電話」という雑誌に自ら主唱《しゅしょう》し、友人|槙尾赤霧《まきおせきむ》と早苗千秋《さなえちあき》とに協力を求めて、三人して「科学大衆文芸」というものを興《おこ》したが、そのときに書いたものである。そのときは『遺言状放送』という題名であった。僕は翌昭和三年に、処女作の探偵小説『電気風呂の怪死事件』を書いたが、その作以前に、実は科学小説三篇を書き下ろしていたのである。本篇はその一つである。
右に続いて第三作『三角形の秘密』を書いた。これも勿論、同誌の科学大衆文芸欄に出たものである。三作中、これが一番マシであるように思う。この頃僕は、当時売出した江戸川乱歩氏の探偵小説を非常に愛読していた。作風のいくぶん似かよえるは、全く此の小説の影響である。
さて右の科学大衆文芸はどういう反響があったかというと、「そんな下らない小説にページを削《さ》くのだったら、もう雑誌の購読は止めちまうぞ」とか、「あんな小説欄は廃止して、その代りに受信機の作り方の記事を増《ま》して呉れ」
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