こんだ。
 それから二、三十分も経ったと思われるころ、三ちゃんは水洗平皿《すいせんひらざら》に、黒く現像のできたフィルムを浮かして現れた。
「おい三ちゃん、どうだったい」
「うん。なんだかしらないけれど、とにかく妙なものがぼんやり出ているようだぜ。いまそれを見せてやるから、待っていなよ」そういって三ちゃんは、水に浮いているフィルムを、そっと水中でひっぱってみせた。
「ほら、ここんところを見てごらん。なんだか白い環《わ》のようなものが、ぼんやりと見えるだろう。これはたしかに○○獣らしいぜ」
 フィルムのままでは、白と黒とがあべこべになっているので写真を見つけない敬二にはよく見えなかった。そこで三ちゃんは、水洗をいい加減にして急に乾かすと、それを印画紙《いんがし》にやきつけた。すると肉眼で見ていると同じ光景が、写真の面にあらわれた。
「ああっ、これだ。この輪が○○獣なのだ」
 それは崩壊してゆくガレージの壁をとった写真だったが、その壊れゆく壁土《かべつち》のそばになんとも奇妙な二つの輪がうつっていた。かなり太い環であった。それは丁度噛みあった指環のような恰好《かっこう》をしていた。どうして○○獣は、こんな形をしているのだろうか。


   ○○獣の謎


 敬二少年は、ついに○○獣の撮影に成功したのだった。
 この写真をよく見てるうちに、彼はこの事件が起った最初、裏の広場の土をもちあげて、機械水雷のような形をした二つの球塊《きゅうかい》がむっくり現れたことを思いだした。
 ○○獣の正体は、やはりこれだったのである。
 何だかしらないが、その二つの球塊が、たがいにくるくると廻りあっている。一方が水平に円運動をすると、他の方は垂直に円運動をする。つまり二つの指環を噛みあわせたような恰好の運動になるのであった。それは二つの球が、お互いに運動をたすけあって、いつまでもぐるぐる廻っていることになるのであった。○○獣のおそろしい力も、こうした運動をやっているからこそ、起るのであった。
 今では○○獣の姿が、一向《いっこう》人々の眼に見えないが、これは○○獣がたいへん速く廻転しているせいであった。たとえば非常に速く廻っている車が見えないのと同じわけであった。敬二少年は、○○獣がこれから廻ろうとしていたその最初から見ていたのであった。
「まったく不思議な○○獣だ」と、敬二は自分で撮った写真をじっと見つめながら、長大息《ちょうたいそく》をした。
 ○○獣というのは、二つの大きな球塊がぐるぐる廻っているものだということは分ったけれど、さてその大きな球塊は一体どんなものから出来ているのか、また中には何が入っているのかということについては、まだ何にも知れていなかった。そこに実に大きい疑問と驚異《きょうい》とがあるわけであったが、敬二には何にも分っていない。いや敬二ばかりが分らないのではない。おそらく世間《せけん》の誰にもこの不思議な○○獣の正体は見当がつかないであろう。
 敬二が○○獣の写真をもって、再び東京ホテルの裏口に帰ってきたときには、そこには物見高い群衆が十倍にも殖《ふ》えていた。その間を押しわけて前に出てみると、ホテルの建物はひどく傾《かたむ》き、今にも転覆《てんぷく》しそうに見えていた。その前に、蟹寺博士が、まるで生き残りの勇士《ゆうし》のように只一人、凛然《りんぜん》とつっ立っていた。警官隊や消防隊は、はるかに離れて、これを遠巻《とおま》きにしていた。
 そのとき敬二は、胸をつかれたようにはっと感じた。それは外《ほか》でもない。ホテルの裏口に積んであった空箱《あきばこ》の山が崩れて、そのあたりは雪がふったように真白に、木屑《きくず》が飛んでいることであった。
「ドン助は、どうしたろう。この空箱の中に酔っぱらって眠っていたわけだが……」
 彼は急に心配になって、恐ろしいのも忘れて前にとびだした。そして残った空き箱の一つ一つを手あたり次第にひっくりかえしてみたが、たずねるドン助の姿はどこにも見あたらなかった。ぞーッとする不吉な予感が、敬二の背すじに匍《は》いあがってきた。


   再びドン助の行方


「おいおい、君は何をしとるのか。こんなところにいると危いじゃないか」
 と、蟹寺博士がつかつかと敬二のところへやってきた。
「ああ博士《せんせい》。僕はドン助を探しているのです」
「ドン助? はて、そのドン助というのは、誰のことじゃ」
「ドン助というのは、僕の親友ですよ。コックなんです。すっかり酔払《よっぱら》って、ここに積んであった空箱のなかに寝ていたはずなんですがねえ」
「なに、この空箱のなかに寝ていたというのかね」博士は目をぱちくりして「そしてドン助は見つかったかね」
「だから今も云ったとおり、そのドン助を探しているのですよ。ところがどこにも見つからないんです」
「ふむ、そうか」と博士は腕ぐみをして考えていたが、
「これはひょっとすると、たいへんなことになったかもしれないぞ」
「えッ、たいへんとは何です。早くいって下さい」
「実はな、さっき○○獣が、この空箱の山をカリカリ音をさせて喰いあらしたのじゃ。空箱はつぎからつぎへと下へ崩れおちてくる。そこをカリカリカリと○○獣は喰いつづけたのじゃ。ひょっとすると、そのドン助というのは、そのときこの○○獣に喰われてしまったかもしれないよ」
「ええっ、ドン助が○○獣に喰べられてしまいましたか」
 それを聞くと、敬二は頭がぼーっとしてきた。人もあろうに、ドン助が○○獣に喰われてしまうなんて、なんということだろう。ドン助は喰われてしまって、どうなったであろうか。
「博士《せんせい》、○○獣に喰べられて、どうなっちまったんでしょうか」
「さあ、そこがどうも分らんので、いま研究中なのじゃ」
 敬二は思いついて、博士に○○獣の写真を出してみせた。こいつは博士を興奮させたこと、非常なものであった。
「おお、これじゃ、これじゃ。儂《わし》の想像していたとおりじゃった。二つの球体が互いにぐるぐる廻っているのがよく分る。はて、こういうわけなら、○○獣を生擒《いけどり》に出来ないこともないぞ」
「○○獣を生擒にするんですか」
 敬二は我《われ》をわすれて躍りあがった。○○獣の生擒なんて、いまのいままで考えていなかったことだ。もし生擒にできたなら、○○獣の謎の正体もはっきり分るだろう。
 二人が○○獣の生擒の話で夢中になっているとき、二人の傍には、いつ何処から現れたかしらないが、例の黒眼鏡の断髪《だんぱつ》の外国婦人が忍びよって、そこらに散らかっている雪のように白い木屑を、せっせと掃きあつめてはメリケン粉袋にぎゅうぎゅうつめこんでいた。


   陥穽《おとしあな》


「おーい! 消防隊」
 蟹寺博士は、すこぶる興奮のありさまで、向うに陣をしいている消防隊の方へ駈けだした。そして隊長らしいのをつかまえて、しきりに手真似入りで話をやっているのが見えた。すると消防隊は、にわかに活溌《かっぱつ》になった。大勢の隊員が、さらに呼びあつめられた。
「一体なにが始まるのかしら」敬二はそれが知りたくて仕方《しかた》がなかった。それで傍へ近づいていった。
 蟹寺博士は、地面に図を描いて、消防隊長に説明をしていた。
「いいかね。このとおりやってくれたまえ」
「ずいぶん大きな穴ですね。もっと人数を増《ま》さなきゃ駄目です」
 と、隊長の一人がいった。
「要ると思うのなら、すぐ手配をして集めてきたまえ。○○獣の生擒《いけどり》がうまくゆかなければ、この事件の被害はますます大変なことになるのだ。井戸掘機械なりとなんなりと、要ると思うものはすぐ集めてきて、早くこのとおりの穴を掘ってくれたまえ」
 蟹寺博士は気が気でないという風に、消防隊を激励《げきれい》した。
 その甲斐があってか、まもなく東京ホテルを中心として、その周囲に深い穴がいくつとなく掘られていった。
「博士《せんせい》。こんなに穴をあけてどうするんですか」
「おう、敬二君か。これは陥穽《おとしあな》なんだよ。○○獣をこの穴の中におとしこむんだよ」
「へえ、陥穽ですか。なるほど、ホテルの周囲にうんと穴を掘って置けば、どの穴かに○○獣が墜落するというわけなんですね」
「そのとおりそのとおり」
「博士《せんせい》、穴の中に落っこっただけでは駄目じゃありませんか。なぜって、穴の中で○○獣が暴れれば、穴がますます大きくなり、やがて東京市の地底《じぞこ》に大穴《おおあな》が出来るだけのことじゃないんですか」
「うん、まあ見ていたまえ。儂《わし》の胸にはちゃんと生擒りの手が考えてある」蟹寺博士は、大いに自信のある顔つきであった。
 そのうちに穴はどんどん掘りさげられていった。千五百人の人が働いて、五十六の大穴が掘れた。もうあとは、○○獣が外へ出てきて、陥穴《あとしあな》におちるばかりであった。蟹寺博士はじめ大勢の見物人は、それがいつ始まるだろうかと、首を長くして○○獣の出てくるのを待ちわびた。
「おお、あそこから○○獣が出てきたっ!」敬二が突然大きな声で叫んで、ホテルの南側の窓下を指《ゆびさ》した。


   女流記者


 敬二の指した方を、大勢の人々は見てはっとした。
 今やホテルの南側の窓下が、がりがりごりごりと盛んに噛《かじ》られてゆき、見る見る大きな穴が明《あ》いてゆく。
「うわーッ、あれが○○獣だ」
「危いぞ。皆《みんな》下がれ下がれ」
 見物人は顔色をかえて、後へ尻込《しりご》みをするのだった。
 勇敢なのは、蟹寺博士だった。
 博士はその前に、前かがみになって、じっと見つめている。
 そのとき、敬二少年はドン助の行方が気になるので、しきりにそのあたりを探しまわってたが、何処を探してみてもいない。博士はドン助が木函《きばこ》ごと○○獣に噛られてしまったといったが、始めはそれが冗談と思っていたのに、だんだん冗談ではないことが敬二に分ってきた。
「もし、貴女《あなた》はなぜその木屑をメリケン袋の中にぎゅうぎゅうつめこんでいるんですか」
 と、黒眼鏡の外国婦人に声をかけた。
 すると、かの外国婦人は、怒ったような顔を敬二の方に向けると、
「あなた、分りませんか。この木屑の中に、あなたの友達の身体が粉々になってありますのです。おお、可哀《かわい》そうな人であります。わたくし、こうして置いて、後で手篤《てあつ》く葬《ほうむ》ってやります。たいへんたいへん、気の毒な人です。みな、あの○○獣のせいです」
「すると、ドン助は○○獣に殺されて、身体はこの木屑と一緒に粉々になっているというのですか。本当ですか、それは――」
「本当です。わたくし、あなたたちのように嘘つきません」
「僕だって嘘なんかつきやしない」
 と、敬二少年は腹を立ててみたが、とにかくもしそれが本当だとすると、この外国婦人は親切なひとだと思われる。
「貴女は一体どういう身分の方なんですか」
 と、敬二は彼女に聞きたいと思っていたことを訊《たず》ねてみた。
「わたくしはメアリー・クリスという英国人です。タイムスという新聞社の特派員です。この○○獣の事件なかなか面白い、わたくし、本国へ通信をどんどん送っています。いや本国だけではない、世界中へ送っています」
「ははあ、女流新聞記者なのですか」
 敬二は始めて合点《がてん》がいったという顔をした。


   ○○獣|生擒《いけどり》


 そのとき、大勢の群衆がうわーっと鬨《とき》の声をあげた。
「騒《さわ》ぐな騒ぐな」
 と、蟹寺博士は群衆を一生懸命に制しているが、なかなか鎮《しず》まらない。
「さあ、セメントを入れろ!」
 消防隊員は総出《そうで》でもって、穴の中にしきりにセメントの溶かしたものを注《つ》ぎいれている。もちろんそれは蟹寺博士の指図《さしず》によるものであった。
「どうしたんです」
 と、敬二が見物人に聞くと、
「いや、とうとう○○獣が穴の中に墜《お》ちたんだとよ」
「えっ、○○獣が……」
 敬二が愕《おどろ》いているうちにも、セメントは後から後へと流しこま
前へ 次へ
全5ページ中4ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
海野 十三 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング