れる。しかしそのたびに穴の中から真白な霧みたいなものがまい上ってくる。
 セメントはどんどん、穴の中に注がれた。
 敬二は心配になって、蟹寺博士のそばに駈けだしていった。
「博士《せんせい》。○○獣が墜っこったって本当ですか」
「おお敬二君か。本当だとも」
「穴の中へセメントを入れてどうするんですか」
「これか。これはつまり、○○獣をセメントで固《かた》めて、動けないようにするためじゃ」
「なるほど――」
 敬二には、始めて合点がついた。○○獣はもともと二つの大きな球が、たいへん速いスピードでぐるぐると廻っているものだった。そのままでは人間の眼にも停《と》まらないのだった。その廻転を停めるためには、セメントで○○獣を固めてしまえばいい理窟《りくつ》だった。なるほど蟹寺博士は豪《えら》い学者だと敬二は舌をまいて感心した。
 しかしそのとき不図《ふと》不審《ふしん》に思ったのは、セメントは乾《かわ》くまでになかなか時間が懸《かか》るということだ。ぐずぐずしていれば、○○獣はまた穴のなかからとびだして来はしまいか。そう思ったので、敬二は心配のあまり蟹寺博士にたずねた。
 すると博士は、眼鏡の奥から目玉をぎょろりと光らせて云った。
「なあに大丈夫だとも。今穴の中に流し込んでいるセメントは、普通のセメントではないのだ。永くとも一時間あれば、すっかり硬くなってしまうセメントなんだよ。そのセメントのなかで○○獣は暴れているから、摩擦熱《まさつねつ》のため、セメントは一時間も罹《かか》らないうちに固まってしまうだろう」
 なるほどそういうものかと敬二は、また感心した。
「そんなセメントがあるのは知らなかった。これも博士の発明品なのですか」
「そうじゃない。この早乾《はやかわ》きのセメントは前からあるものだよ。歯医者へ行ったことがあるかね。歯医者がむし歯につめてくれるセメントは五、六分もあれば乾くじゃないか。一時間で乾くセメントなんて、まだまだ乾きが遅い方なんだよ」
 あっそうか。むし歯のセメントのことなら、敬二もよく知っていた。じゃあ○○獣は、そろそろセメント詰めになる頃だぞ。


   大椿事《だいちんじ》


「ほほ、敬二君。いよいよ○○獣がセメントの中に動かなくなったらしいぞ。見えるだろう。さっきまで穴の中から白い煙のようなセメントの粉が立ちのぼっていたのが、今はもう見えなくなったから」
「えっ、いよいよ○○獣が捕虜になったんですか」
 博士の云うとおり、○○獣の落ちた穴の中からは、最前までゆうゆうと立ち昇《のぼ》っていた白気《はっき》は見えなくなっていた。
 博士は穴の方へ飛びだしていった。
「おおい、皆こっちへ集ってくれ。○○獣を掘りだすんだ」
 さあ、いよいよ問題の○○獣を掘り出すことになった。消防隊はシャベルや鶴嘴《つるはし》をもって、穴のまわりに集ってきた。蒸気で動くハンマーも、レールの上を動いてきた。
 がんがんどすんどすんと、○○獣の埋《うず》まっている周囲が掘り下げられていった。セメントはもはや硬く固っていた。
 やがて掘りだされたのは、背の高い水槽《タンク》ほどもあるセメントの円柱だった。
「うむ、うまくいった。この中に○○獣がいるんだ。よかったよかった」
 と蟹寺博士はもみ手をしながら、そのまわりをぐるぐると歩きまわる。
 警備の隊員も見物人も、ざわざわとざわめいたが、折角の○○獣も、セメントの壁に距《へだ》てられて見えないのが物足りなさそうであった。
「博士《せんせい》。○○獣はセメントで固めたまま抛《ほう》って置くのですか」
「うん、分っているよ、敬二君。こいつは用心をして扱わないと、飛んだことになるのだ。まあ儂《わし》のすることを見ているがよい」
 蟹寺博士は、セメント詰めの○○獣をトラックの上に積ませた。そしてそのトラックは騒ぎを後に、東京ホテルの広場から走りだした。その後《うしろ》からは、幾十台の自動車がぞろぞろとつき従ってゆく。
 やがてこのセメント詰めの○○獣は、帝都大学の構内に搬《はこ》びこまれた。
 蟹寺博士は先頭に立って、指図《さしず》をしていた。まずX線研究室の扉《ドア》がひらかれ、その中に○○獣を閉じこめたセメント柱《はしら》が搬びこまれた。室内は直ちに暗室にされた。ジイジイとX線が器械から放射され、うつくしい蛍光が輝きだした。
「ああ、見えるぞ」
 博士は叫んだ。蛍光板の中にぼんやりと二つの丸い球が見えだした。
 後からついてきた人たちも、それっというので眼を瞠《みは》った。
「どうもこの儘《まま》では危い。この二つの○○獣を互いに離して置かないと、いつまた前のようにぐるぐる廻りだすか分らない。さあ、この辺から、セメントの柱を二つに鋸引《のこぎりび》きをしてくれたまえ。柱が壊《こわ》れないようにそろそろやるように注意を頼む」


   恐ろしき謎


 鋸引きの音が、ごりごりいっている間に、敬二は博士のそばへいって声をかけた。
「博士《せんせい》、なぜ○○獣を別々に離して置かないと危いのですか」
「うん。これは○○獣の運動ぶりから推《お》して、そういう理屈になるんだよ。つまり○○獣というのは二つの球が互いに相手のまわりに廻っているんだ。丁度《ちょうど》二つの指環《ゆびわ》を噛みあわしたような恰好に廻っているんだ。こういう風に廻ると、二つの球は互いに相手に廻転力を与えることになるから、二つの球はいつまでも廻っているんだ。だから二つの球を静止させるには、二つの球の距離を遠くへ離すより外ないのだ。見ていたまえ。もうすぐ○獣《マルじゅう》と○獣《マルじゅう》とが切り離せるから」
 鋸引《のこぎりび》きが済《す》んで、セメント柱は二つに切られた。博士の指図によって、消防隊の人々が一方のセメント柱に手をかけて、えんやえんやと引張った。
「これは駄目だ。中々動きそうもない」
「そんなに強いかね。じゃあ、もっと皆さんこっちへ来て手を貸して下さい」
 更に人数を殖《ふ》やして、えんやえんやと引張った。するとセメント柱は、やっと両方に離れだした。
「しめた。もっと力を出して。そら、えんやえんや」
 うんと力を合わせて引張ったので、セメント柱はごろごろと台の上から下に転がり落ちた。
 あっと思ったが、もう遅かった、ぐわーん、どどーんと大きな音とともに真白な煙が室内に立ちのぼった。
 人々の悲鳴、壁や天井の崩れる音。思いがけないたいへんな椿事《ちんじ》をひきおこしてしまった。
 敬二少年も、この大爆発のために、しばらくは気を失っていた。暫《しばら》く経《た》ってやっと気がついてみると、壁も天井もどこかへ吹きとんでしまって、頭上には高い空が見えていた。あたりを見ると、そこには大勢の人が倒れていた。セメントの破片が白く飛んでいた。
 しかし不思議なことに、○○獣の姿はどこにも見当らなかった。
 なぜ大爆発が起ったのやら、なぜ○○獣がいなくなったのやら、そこに居合わせた誰にもさっぱり解らなかったけれど、ずっと後に、やはりあのとき重傷を負った蟹寺博士が病院のベッドの上で繃帯《ほうたい》をぐるぐる捲きつけた顔の中から細々とした声で語ったところによると、
「儂の失敗じゃ。○○獣を切り離したのがよくなかった。○○獣が互いに傍にいる間に、お互いの引力で小さくなっているんだが、あれを両方に離してしまうと、引力がなくなってしまうから、それで急に大きく膨《ふく》れて、あのとおり爆発してしまったのだ。○○獣はもともと瓦斯体《ガスたい》だったが、ああして廻りだすようになってから形が小さくなって鉄の塊《かたまり》みたいに固くなっていたんだ。だから二つを両方に離すと、どっちももとの瓦斯体になり、後には何にも残っていないのだ。じゃ○○獣というのは何物だったかといえば、あれは宇宙を飛んでいる二つの小さい星雲が或るところで偶然出会い、それからあの激しい収縮《しゅうしゅく》と強い廻転とが生じて、それがたまたま地球の中をくぐりぬけていったのだよ。全く珍らしい現象だ。随分恐ろしいことだった」
 博士はベッドの中で大きな溜息《ためいき》をつきながら、そういうのであった。



底本:「海野十三全集 第5巻 浮かぶ飛行島」三一書房
   1989(平成元)年4月15日第1版第1刷発行
初出:「ラヂオ子供のテキスト」日本放送出版協会
   1937(昭和12)年9月
入力:tatsuki
校正:浅原庸子
2003年11月24日作成
青空文庫作成ファイル:
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