たんであろうか。
敬二少年は、思いがけなく十円紙幣が懐中《ふところ》に転《ころ》がりこんだので、彼はしばし夢ごこちであったが、いくど懐中から出して改めてみても、十円紙幣はいつも十円紙幣に見えた。化《ば》け狸《たぬき》がくれた紙幣ならもうこのへんで木《こ》の葉《は》になっていいころだったが、そうならないところを考えると、なるほどやはり本当に十円|儲《もう》かったのだと分った。
そうなると敬二は、この十円をどういう具合につかったらいいのだろうかと、また考えこまなければならなかった。
いろいろ考えた末、彼はいいことを考えついた。それはカメラを手に入れることだった。カメラを手に入れるといっても、十円のカメラを買ったのでは、みすぼらしい器械しか手に入らない。それではつまらぬと思ったので、たいへん考えた末、ちかごろ高級カメラとして名のあるライカを借りることにした。ライカを一週間借りて損料《そんりょう》十円――ということにきまった。この店は、敬二がよく使いにゆく店だったので、店でもたいへん便宜《べんぎ》をはかってくれて、十円の損料だけでよいということだった。
敬二はすっかり嬉しくなって、速写《そくしゃ》ケースに入ったライカを首にかけて離さなかった。使いにゆくときも、食事をするときも寝るときも、彼はカメラを首にかけていた。カメラを離しているのは、お風呂に入るときだけだった。彼はこの一週間のうちに、十円以上の値打のあるなにか素晴らしい写真をとりたいものと、それをのみ念《ねん》じていた。
ドン助はどうしたのか、さっぱり姿を見せなかった。
十円儲かったその次の日の朝のことだった。配達された朝刊を見て、敬二は目を丸くして愕いた。
社会面のトップへもって来て、三段ぬきのデカデカ活字で○○獣のことがでていたのである。
――ビル崩壊の謎はこれか? ○○獣を見た東京ビル主任永田純助氏語る――
という標題で、「私は昨夜この眼で不思議なけだもの○○獣を見ました。これは雪達磨《ゆきだるま》を十個合わせたぐらいの丸い大きな目をもった恐ろしい怪物《かいぶつ》です。そいつは空からフワリフワリと下りて来て、私を睨《にら》みつけたのです。私は日本男子ですから、勇敢にも○○獣を睨みかえしてやりましたが、その○○獣の身体というのは、狐のように胴中《どうなか》が細く、そして長い尻尾《しっぽ》を持っていまして、身体の全長は五十メートルぐらいもありました。しかし不思議なのはその身体です。これはまるで水母《くらげ》のように透きとおっていて、よほど傍へよらないと見えません。とにかく恐ろしい獣《けだもの》で、私の考えでは、あれはフライにして喰べるのがいちばんおいしいだろうと思いました。云々」
敬二はそこまで読むと、ドン助の大法螺《おおぼら》にブッとふきだした。ドン助はいうことが無いのに困って、こんな出鱈目《でたらめ》をいったのだろうが、フライにして喰べるといいなどとはコックだというお里を丸だしにしていて笑わせる。
ローラ嬢の立腹
その日、お昼が近くなったというのに、ドン助が帰ってこないので、足立支配人はプンプンの大プリプリに怒っていた。
「こら給仕お前は永田の居所《いどころ》を知っているくせに、俺にかくしているのだろう。早くつれてこい。もう三十分のうちにつれてこないと、お前の首をとってしまうぞ。あいつにはウンといってやらんけりゃならん。俺という支配人が居るのに、東京ビルの主任だなんて新聞にいいやがって、怪《け》しからん奴だ」
プリプリと足立支配人は怒りながら、向うへいってしまった。日ごろ怒るのが商売の支配人ながら、今日は本当に足の裏から頭のてっぺんまで本当に怒っているらしかった。
「困ったなあ、ドン助のおかげで、僕まで叱《しか》られて、ああつまんないな」
敬二は、腹だちまぎれに向うへ帰ってゆく支配人の後姿にカメラを向けて、パチリと一枚写真をとった。機関銃でタタタタとやったように。いい気持になった。これで支配人の禿げ頭がキラキラと光っているところがうつってでもいれば、もっと胸がスーッとすくだろうに。
敬二は、壊れた石塊《いしころ》の上に腰を下ろして、ドン助がどこへいったのだろうかと、心あたりを一つ一つ数えはじめた。
「あ、あなたです。ワタクシ、よく覚えています――」
物思いにふけっていた敬二は、いきなり黄いろい女の金切《かなき》り声とともに、腕をムズとつかまれた。
顔をあげてみると、それは十円紙幣をくれた鳶色《とびいろ》のちぢれ毛の外国婦人だった。やっぱり大きい黒眼鏡をかけて、白っぽいコートをひきずるようにきていた。
「この間は、どうも有難う」と、敬二はお礼をのべた。
「あなた、ひどい人ありますね。なぜ約束、破りました」
「えッ、約束なんて――」
「破りました。ニュースを二十円で、ワタクシ買いました。外《ほか》の人にきっと話すことなりません、約束しました。ところが今日の新聞、みな○○獣のこと書いています。大々的に書いています。それでもあなた大嘘つきありませんか」
「ま、待って下さい。ぼ、僕はなにも知らないのです。喋《しゃべ》ったとすれば、ドン助が喋ったのかもしれません。僕は喋らない」
「ドン助? ああ、あの太った人ですね。ドン助どこにいます。ワタクシ会います。彼にきびしく云うことあります。すぐつれて来てください」
「ドン助をですか。わーッ」またドン助だ。ドン助は一体どこに行ってしまったんだろう。敬二はローラというその外国婦人の前を逃げるようにしてすりぬけた。ローラは拳《こぶし》をふりあげながら、あとから追いかけてくる。捉《つかま》ってはたいへんと、敬二は、ビルの裏へにげこんだ。
でもローラの金切り声はおいかけてくる。
さあ、そうなると逃げるところがなくなった。といって捉ってはどんな目にあうかもしれない。そのとき敬二はいい隠れ場所をみつけた。それは外国人がホテルへついて荷物を大きな荷造りの箱から出したその空箱《あきばこ》がいくつも重ねてある場所であった。敬二はそのうちで一番大きい箱に見当をつけて、腕をすりむくのも構《かま》わず、夢中になって空箱のなかにとびこんだ。
そのとき彼は、箱の奥に、なんだかグニャリとするものにつきあたってハッとした。
ドン助の行方
空き箱の奥のグニャリとするものにつきあたって、敬二少年は心臓がつぶれるほどおどろいた。何だろうと思って目をみはったとき「ごーッ」という音が耳に入った。大きな鼾《いびき》であった。
「なんだ、こんなところに寝ているんだもの、どこを探したって分る筈がない」空き箱の中に窮屈《きゅうくつ》そうに、身体を、縮《ちぢ》めて寝こんでいるのは、行方不明になったドン助だった。酒の香《におい》が箱のなかにプンプンにおっていた。
敬二はドン助をそっと揺《ゆ》りおこした。ところがそんなことで目のさめるような御当人《ごとうにん》ではなかった。といって箱のなかであるから、あまり音をたてては、ローラに知れる。そこで一策《いっさく》をかんがえて、ドン助のはりきった太《ふと》ももをギューッとつねってやった。
「ああ、あいてて……」膨《ふく》れかけた鼻提灯《はなちょうちん》が、急にひっこんで、その代りドン助はバネ人形のように起きあがった。そこは狭《せま》い狭い箱の中だった。彼はいやというほど頭をぶっつけて、とうとう本当に眼をさました。
「やっ、貴様か。貴様はなんというひどい――」大口《おおぐち》開いてつかみかかってくるドン助を、敬二はあわててつきとばした。ドン助は赤ん坊のように、どたんと倒れた。
敬二が早口《はやくち》に、あの黒眼鏡のローラがいまそこまで追っかけてきていることを告げると、さすがのドン助もこれが大いに効《き》いたと見え、彼はたちまち頭をかかえて羊のごとくおとなしくなってしまった。
「そうか。そいつは弱ったな」
敬二はこれまでの話を、手みじかに話してやった。それを聞いていたドン助は、
「いや、俺が慾ばりすぎて失敗したんだ。でもあの外国の女には第一番に話をしたんだから、あれは二十円の値打はあると思うよ。第二番以後は二円ずつ安くして、ニュースを売ってやったのだ。あれから皆で四、五十円も儲かったよ。だからつい呑《の》みすぎちまったんだ。わるく思うなよ」あの出鱈目《でたらめ》ニュースを、そんなに幾軒もの新聞に売ったと聞いて、敬二はドン助の心臓のつよさにおどろいた。
「へへえ、支配人が俺をとっちめるといってたかい。そいつは困ったな。あいつは柔道四段のゴロツキあがりだから、いま見つかりゃ肋骨《ろっこつ》の一本二本は折られると覚悟しなきゃならない。そいつは痛いし――」と腕をこまねいて、
「どうも弱った。仕方がない。夜になるまでここに隠れていよう」ドン助はごろりと音をたてて横になった。すると間もなく平和な鼾が聞えてきた。すっかりアルコールの擒《とりこ》となった彼の身体は、まだまだねむりをとらなければ足りないのであった。
○○獣《マルマルじゅう》の再来
恐ろしいビルディング崩壊が再び始まったのはその日の午後であった。
あれよあれよと見る間に、例のカリカリカリという怪音をあげて、東京ホテルの裏に立っている大きな自動車のガレージを噛《かじ》りはじめた。
敬二少年が外に走りでたときは、もはやガレージの横の壁が、まるで達磨《だるま》を横にしたように噛《か》みとられ、そして中にある修理中の自動車がガリガリやられているところだった。じっと見ていると、それらの壁や自動車が、音をたてて自然に消えてゆくとしか見えないのであった。もちろんドン助が新聞記者に喋《しゃべ》ったように、怪物の尻尾《しっぽ》もなんにも見えなかった。
敬二はいまさらながら、この出来事を眼の前に見て、気味がわるかったが、思いついて、首にかけていたカメラでパチリと写真を一枚とった。露出はわずか千分の一秒という非常な短かい撮影だった。
「やあ、これかい。なるほどなるほど」と突然大きな声がしたので、その方をふりむいてみると、誰がいつの間に知らせたのか、蟹寺博士が来ていた。博士は例の強い近眼鏡を光らせて、崩壊してゆく自動車を熱心にじっと見つめていた。
自動車も消えてしまうと、そこらに集って見物していた人達は、にわかに狼狽《ろうばい》をはじめた。さあ、こんどはどこが崩壊するかしれないからです。もし自分の身体が崩壊しはじめたらどうしよう。
カリカリカリカリ。
突然また例の怪音がおこって、人々の耳をうった。
カメラの手柄
敬二少年が、わずか千分の一秒という短かい露出でもって、○○獣の動いていると思われるところをうまく写真にとったことは、前にいった。少年は、どんな写真が撮《と》れたかを一刻も早く見たくてたまらなかった。それで目下《もっか》、東京ホテルの裏口を暴れまわっている○○獣のことは、折から現場に着き例の強い近眼鏡をひからせながら熱心に観察している蟹寺博士にまかせてしまって、敬二はカメラをもったまま、友だちの三ちゃんというのがやっている写真機屋の店をさして駈《か》けだした。
「おう、三ちゃん、たいへんだたいへんだ」
「な、なんだ。おや敬ちゃんじゃないか。顔いろをかえてどうしたんだ」三ちゃんは現像室《げんぞうしつ》からとびだしてきて、敬二少年を呆《あき》れ顔で見やった。
「うん、全くたいへんなんだよ。○○獣の写真をとってきたんだ。すまないが、すぐ現像してくれないか」
「えっ、なんだって、あの○○獣の写真をとってきたんだって。まさかね。あははは」と、三ちゃんは本気にしない。それもそうであろう。誰にも見えない○○獣が写真にうつるわけがないからである。敬二少年は、それからいろいろと説明をして、やっと三ちゃんに納得《なっとく》してもらうことができた。
「ああそうだったのか。千分の一秒で……。うむ、これなら或いはなにか見えるかもしれないね。ではすぐ現像してみよう」そういって三ちゃんは、敬二のフィルムをもって、現像室にもぐり
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