ら、如何にも躊躇したように答えた。
「精確《しっかり》とは存知ませんが、四百フランも御座いましたら、どうかなるでござんしょう」
 夫は少しく青くなった。彼は翌年の夏あたり同僚とナンテルの方面に銃猟に行くつもりで、そのためにかねて銃を買うつもりで貯えた金が四百フランばかりあるのだ。
 夫は思い切ったという調子で、
「よし、それならお前に四百フラン遣るから、好きな衣服を買ってくるがいい」
 夜会の日が近づいた。が、彼女は如何したものか沈み勝ちで、何かたえず心配しているようにみえた。服装《なり》もチャント[#「チャント」に傍点]、準備《ととの》ったのである。夫は不思議にたえない。で、ある晩に彼女にたずねた。
「如何した、この二、三日おまえの様子が如何もへんだよ。また、なにか心配なことでもあるのかね?」
「衣服はこれでよいとしても、飾りになる宝石が一ツだってある訳ではないし、私いっそ、もう夜会に参ることはよしましょう」
「それなら、花でもつけてゆくさ、時節柄キット[#「キット」に傍点]よく似合うよ。なに、十フランもあれば見事な薔薇が買えらあね」
「嫌ですよ、立派な貴婦人《かたがた》の前に出て、貧乏くさく見える位恥ずかしいことはありませんからね」
 彼女は中々承知しない。
 夫はなにごとか思いついたらしく、
「お前も余程馬鹿だねえ。それ、お前の親友のフオレスチャ夫人ねえ、あの人の処へ行けば飾り位如何かなりそうなものだねえ、え?」
「真実《ほんとう》に如何したらいいでしょう。私、今までちっとも気がつかなかったわ」
 さも嬉しそうに彼女は叫んだ。
 翌日、彼女は早速親友の処をたずねて、事情を話した。
 フオレスチャ夫人は殊の外同情して、破璃戸の填っている戸棚から大きな宝石の函をとり出してロイゼルの前に開いた。
「さあ、どれでもお気に召したのを」
 彼女はまず腕環をみた。それから真珠の頸飾り、ヴェネシアの十字架、その外精巧を尽くした金銀宝石の種々の飾りを一々手にとってみた。そして、鏡の前へ立って、それを身体の彼処此処《あちこち》へつけて眺めまわした。これかそれかと定めかねてしばし躊躇した。
「もうこの他に御座いませんか?」と口癖のようにいいながら、
「いいえ、ないことも御座いませんが、如何いうのが全体お好きなのやら」と夫人は曖昧な返事をする。
 彼女はとうとう黒い箱の中に入っている
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