れた。著書に『或る夢の貌』(大13.9 新作社)『俳人漱石論』(昭6 厚生閣)など。辻潤と萩原朔太郎が1930(昭和5)年2月に創刊した雑誌「ニヒル」(3号でつぶれた)の寄稿者の一人であった。辻潤との詳しい関係は不明。(日本近代文学館・小田切進編、講談社発行「日本近代文学大辞典」昭和53年1月18日第三刷を参照した。)
(3) 佐藤惣之助
 1890−1942。詩人、作詞家。少年の頃から佐藤紅緑の門に入って俳句を作った。感覚の明るさ、色彩のはなやかさ、言葉の饒舌さなどに際立った特色を示し、北原白秋と違った性質のエピキュリアンの風貌をみせるようになった。のち、歌謡曲の作詞を手がけ、やがてレコード会社の専属作詞家になり、800余りの歌謡曲の歌詞を作った。1933年、萩原朔太郎の末妹、アイと結婚。22冊の詩集。3冊の句集。釣に関する本7冊を残した。辻潤との関わりの詳細は不明。1921年、辻潤が母子を引き連れて住んだ川崎砂子の家は、佐藤惣之助の紹介によるものという。(伊藤信吉編「新潮日本文学辞典」、日外アソシエーツ編「詩歌人名事典」を参照した。)
入力者注2:「生理」は萩原朔太郎創刊の雑誌。 
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