と頭が混沌として来るので、いつでもそれを有耶無耶に葬ってしまう――そして所定めず目的なしにフラフラと歩き出す――歩いている間、動いている間はいつの間にか甚だ呑気になって、目前の周囲の移り変わりに心を惹きつけられ、気をとられて一切を忘却してしまうのである。そして、人間の姿の一人もいない広々とした野原などを青空と太陽と白雲と山と林と草と樹と水などにとりかこまれて、悠々と歩いていると、それ等の物象がいつの間にか悉く自分の物であるかのような気がしてきて、聊か自分の心が気強くなり、落ちつきを得たように思うのである。つまり先にもいった通り、それ等の物象と同化して、自他の区別がつかなくなるところから、一切が自分の物であるかのようなイリュウジョンを起すことになるのであろうか?
近頃、僕は自分の求めている幸福という物の正体が稍々ほんとう[#「ほんとう」に傍点]にわかってきた様な気がしている。それはなにか? 真理を体得するというようなことか? 自由に生きるということか? 芸術に生きるということか? 巨万の富を得て、物質的に充足した生活をすることか? 知識を出来るだけ多く獲得するということか? 小説でも書
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