ような低能児には、そんなことでは却々[#底本「劫々」。『選集』で「なかなか」となって居るのに合せて訂正]あきらめがつきそうもない。生まれてくると、いつの間にか前から連続している世の中の色々な種々相や約束を押し付けられて、否でも応でもその中で生きることを余儀なくせしめられる。自分の意志や判断が、ハッキリ付かない中にいつの間にか、他人の意志を意志として、他人の生活を生活するようにさせられてしまっている。そして、親達は「誰のお蔭で大きくなったのだと思う」といって、恩をきせ、国家はさも、国家のお蔭でお前を教育してやった、知識を授けてやったというような顔をして恩にきせる。なる程、自分が今迄生きてこられたのは、少なくとも自分のような蒲柳の質の生活力の弱いヤクザ人間が生きておられたのはまったく自分以外の人々のお蔭だということは一応わかりはするが、僕は別段、これを自分の意志からお願いした覚えは毛頭ないのである。つまりよってたかって自分を今のような自分に作りあげてくれたまでである。僕は寧ろそれをありがた迷惑だと思い、大きな御世話だと思ったところで、別段、なんの差支えもなさそうである。まして「酔生夢死」を望むような心持にさせたのは全体、何人の仕業なのであろうか? 考えてみるとなんとなくわけがわからなくなってしまうのである。
考えると自分にはこの世の何処を見廻しても安住の場所というものが見当らない――第一これこそ自分の物だとハッキリいえそうなものは一ツもない。強いて理屈をつければ自分の霊魂と自分の身体位なものだと思えるが、それも両親から受け継いだのだと思うとその所有権を父母に主張されても、あまり威張ってそれに反対も出来そうではない。そして自分のこれまでの生長してきた現在の存在を考えて、自分以外の自然や人力に助けられていることがどれ程多いものであるかという風に考えてくると、まったく自分は無一物で他人から自分の所有権を主張されてもそれに対して立派な反対をすることは覚束ない。なんという惨めな存在なのだろう!――と考える度毎に自分はつくづくなさけなくなって来る。
空気と太陽の光線とはどうやら文句もいわれずに黙って頂戴が出来るが、――その他の物でなに一ツ自分の物らしいものは一ツだってありはしない。毎日歩いている地面も人のものであり、雨露を凌ぐ家も勿論、人の物、知識も借り物、衣物も他人の拵えた物
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