るかも知れない。それが出来ない間は、いくら此の世にユウトピヤが実現されても、真の幸福を感じることは出来ないであろう。三分や四分や五分や六分や七分や、八分や九分の愛では、決して自分は満足することは出来ない。考えると自分という人間は自分の身分不相応な、なんという慾深い人間なのだろう――つまり、この地上では永久に出来そうもない、[#底本「。」を「、」に訂正]不可能な要求を勝手にしながら、そのために強いて自分を苦しめ苛んでいる不幸な妄想者といわれても、自分はそれに対して弁明することは出来そうもないのである。いっそ[#「いっそ」に傍点]真実の狂人になって世界中の女が悉く僕にその全部の愛を濺《そそ》いで生きているのだというような妄想を持ち得たら、自分はどれ程幸福になることが出来るだろう。――こんな空想をするだけでも、自分はなんとなく自分が少々それに接近しかけているのではないかとも考えられるのである。
 それさえ出来たら、自分はどうやら世界中の人類を悉く愛し得られるように思う。又、如何なる労作も少しも苦痛でなく、喜んでなし得られるような気がする。一切の物が悉く他人の所有でも、決してそれを羨望するようなこともなくなることと思う。唯だ自分の生活がその女性を愛し、彼女から愛されることをもって始終するのである。それが生活意識の中心になる、アルハになり、オメガになり、神になり、仏になり、天国になり、芸術になり――一切になり切るのである。
 つまり、自分の生活はその妄想の充たされない苦しまぎれの生活なのだと思う。酒に溺れ、音楽に慰めを求め、女を買い、知識の世界に遊ぼうとするのは悉くその慾求の変形なのである。そして遂にそれ等の一切は自分の真の慾望を充たしてはくれないのである。しかし僕は絶望はしたくない。その無理な慾求を背負いながら、闇黒な流浪の旅を続けるだけである。そして前にもいったように、精根が尽き果てたら死ぬだけの話である。なんというわがまま[#「わがまま」に傍点]な惨澹たる生活だろう。しかし、その妄想の執着が存する限り僕は生きる力がその執着から湧き出してくることと信じている。
 この妄想こそ僕の唯一のイリュウジョンである。それ以外の人生の一切は僕に激しい幻滅を与えないでは置かないのである。たとえ一切は虚無でもかまわない。僕はこの妄想に取り縋って生きて行こうと思う。稀代の色狂人と嗤う人は嗤
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