うたとて」に傍点]になりいうたかとて[#「いうたかとて」に傍点]になったら、私は自殺するより他に方法はないだろう――いうたかとて[#「いうたかとて」に傍点]――親戚やおまへん[#「親戚やおまへん」に傍点]――などとやられたら、息を引き取った奴がこんどは逆転して蘇生するにちがいない。まったく言葉という奴は恐ろしい生き物だ。
 ルナアルやモランが最近訳されたことは僕のひそかに喜びとするところだ。堀口君の『夜ひらく』はまだ拝見はしないが、嘗つて明星所載の「北欧の夜」の一部だけは読んでいる。僕も偶然にもその頃、ルナアルの小品とモランの詩とを訳して「極光」という雑誌に載せたが記憶している人は少ないだろう。それは中西悟堂が松江から出していた同人雑誌なのだから。私はなぜモランを訳したか別段深い意味もない。彼が仏蘭西のすぐれたダダの詩人だからだ。彼は教養ある若き外交官であり立派な一個の紳士である。しかし日曜に彼の処へ電話をかけると、自分で「御主人は只今瑞西へ御旅行中です」というのは如何にもダダの詩人がいいそうなことだ。堀口君は最初に彼をダダの詩人として紹介されていたようだが、こんどは新印象派として紹介
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