惰眠洞妄語
辻潤
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【テキスト中に現れる記号について】
《》:ルビ
(例)堯舜《ぎょうしゅん》
[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(数字は、JIS X 0213の面区点番号、または底本のページと行数)
(例)※[#「木+無」、第3水準1−86−12]
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1
今のような世の中に生きているというだけで――それだけ考えてみたばかりでも私達は既に値打づけられてしまっているように感じることがある。
昔、堯舜《ぎょうしゅん》の時代というようなそんなものがあったか、なかったか、又この先きユウトピヤとか、ミロクの[#「ミロクの」は底本では「ミクロの」]世の中とかいうものが来るか来ないか、そんなことを何遍繰返して考えてみたところで、私は少くとも今日一日の生命を生きてゆかなければならないことだけは事実だ。現実肯定だ。それ以外に名案は浮んでは来ない。
私にとっては現実を肯定するということは厚顔無恥に生きるということの別名に過ぎない。――厚顔無恥も度々繰返している間には無邪気に思われるようにさえなって来る。
私は自分が厚顔無恥であるということを時々意識することによって、自分に不愉快を感じさせられる。――従って私は鏡にうつる自分の姿を見ることをあまり好まない。
自分はまだ修業が足りないのだ――と思う。しかし、やがて自分はこんなことすら意識しなくなる時が来るのではあるまいか、とひそかにその時期の到来を期待しているのだ。
私は電車に乗る時の自分の姿をアリアリと思い浮べる。私は人が自家用の自動車を持たなければならないと思う方があまりにも当然だと考える。それが果してブルジョア意識というものなのだろうか?
芸術は玩具だ。少くとも書物は私にとってはなくてはならない玩具の一種だ。私は自分の好きなおもちゃを宛がってさえ置いてもらえば、かなりおとなしく遊んでいる。
私は自分の生活のために時々自分でおもちゃを拵らえて売る。ゆっくり、楽しんで自分の気の合ったようなおもちゃばかりを拵えてみたいが、そうはゆかぬ。しかし不出来な、気に喰わないものでも買ってくれる人があるので、私はどうやら暮してゆかれるのだが――貧しいおもちゃ製造人。
時々目先の変った新型のおもちゃを拵えないと、私はどうやら暮しが立たなくなる恐れがある。私のおもちゃをお買い下さい――。
2
おもちゃは腹の足しにはならない。そんなものはゼイタク品だ。一切のおもちゃを破壊せよ!――腹の空いた人間の理窟としては無理もない。だが私のような発育未熟の永遠の赤ん坊は少し位腹が減っていても自分の好きなおもちゃがあるとそれでかなりまぎれている。
おもちゃを持って遊ぶことの出来ない人間は不幸なものだ。
おもちゃの好きなものは当然おもちゃに対する鑑賞眼が肥えて来る。金さえ出せばいいおもちゃが買えるというわけのものではない。いくら金があってもおもちゃのよしあしのわからない人間もいる。――莫大な金を出してつまらぬおもちゃを買う者もいる。自分で好みもせぬのに、人に見せびらかすためにやたらと買う者もいる。
おもちゃのほんとうに好きな人間は自分で自分のおもちゃを撰択する。時代と流行と人気とは彼になんの関りもないのである。
私は自分が拵えて、自分が楽しむことの出来ないような玩具はなるべく拵らえたくないと思っている。
いつまでいじくっていても少しも見倦《みあ》きのしないようなものを拵えたいと思っている。
人のこしらえた物が気に喰わなければ自分で気に喰う物を造るより他に仕方がない。
私は人のおもちゃの世話を焼くことにあまり興味を感じない。しかしいいおもちゃが眼に付けばそれを手に入れて遊ぶばかりだ。
人の趣味は千差万別だから、この世には色々なおもちゃの存在理由があるわけだ。
宮沢賢治という人は何処の人だか、年がいくつなのだか、なにをしている人なのだか私はまるで知らない。しかし、私は偶然にも近頃、その人の『春と修羅』という詩集を手にした。
近頃珍しい詩集だ。――私は勿論詩人でもなければ、批評家でもないが――私の鑑賞眼の程度は、若し諸君が私の言葉に促されてこの詩集を手にせられるなら直ぐにわかる筈だ。
私は由来気まぐれで、甚だ好奇心に富んでいる――しかし、本物とニセ物の区別位は出来る自信はある。
私は今この詩集から沢山のコーテェションをやりたい慾望があるが――。
わたしという現象は仮定された有機交流電燈のひとつの青い照明です(あらゆる透明な幽霊の複合体)――というのが序の始まりの文句なのだが、この詩人はまったく特異な個性の持主だ。芸術は独創性の異名で、その他は模倣から成り立つものだが、情緒や、感覚の新鮮さが失なわれていたのでは話に
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