錯覚した小宇宙
 ――Our faith comes in moments;
   our vice is habitual. ――Emerson.
辻潤


 人体が一個の「小宇宙《ミクロコスモス》」であるという思想は別段珍らしい考え方ではない。禅家では芥子粒の中に須弥山[#底本「須禰山」を訂正]さえ入っている。これは比喩だが、電子の中にひょっとしたら全宇宙が包まれているのかも知れないのだ。
 自分は少年の時分からひどく空想癖が強く勿論、妖怪変化の類が好きだった。長ずるに及んで神秘家になったところで別段不思議ではあるまい。しかし、なぜ自分がロマンチケルであるかということは説明のしようもない。
 自分は近頃では益々理論というものの如何に無価値なものであるかを痛切にかんじるようになって来た。但し、麻雀が好きだという位な意味で理論を弄ぶことの好きな人達を別段咎めようとは思わない。世に真理というような固定したもののあることを信じている人程、気の毒な人達はないと考えている。現代の多くの狂信的マテリヤリストは原始基督教徒と一向変りがない。かれ等の中には立派な殉難者が沢山にいる。
 畏友古谷栄一君はかつて「人間の自我は錯覚」という説を発表した。自分はその説に大に推服しているものである。簡単に結論だけをいうと――人間つまり一人の個人は形而上的には一人でも二人でもなく、恰かも水のように流動して融通無碍だというのである。唯その流動が永い間の惰性によって一点を中心として緊縮されているに過ぎないというのである。故に「死によらずんば之等の何千万年の惰性を打砕して本然の微分流動に放化し、散却することが出来ぬ」が一度心眼を開いて黙想するならこの縦鼻横目の活人そのまま彼を微分流動の中に放って考えることが出来る。要するに一の個人は只彼を中心として全宇宙の流動循環が浪打ち来るその一切の力の尖端に於ける全宇宙の一表現、一仮現に過ぎぬ。それ故――個人はそのままで全宇宙である。
 勿論、どうして惰性のために「自称」が出来あがったのだかということは不明なのである。しかし、所謂、普通に「自己」と称している、またそれをさも重大な意義ででもあるかの如く振りまわしている輩の如何にくだらないかは大方の経験によって分明である。
 自分は夙《つと》に人生を左程有意義に考えてはいず、人間の生活を寧ろ悲惨で滑稽なものだと考えているのである。勿論、自分達の生活をもひっくるめての話である。どうしてもこんな不合理で馬鹿々々しい生活はあったものじゃないと思う。しかし、どうもこれが今始まったのではなく何千万年か続いているらしいのには恐縮しているのである。全体、如何なるそこに道理があるのであろうなどと考えても、せいぜい聖書の創世紀でも信ずるよりほか名案も浮んでは来ない。
 一度理性を働かして物を考えると、自分は忽ち懐疑派になる。これはひどく逆説じみてきこえるかも知れないが、自分が心霊[#「心霊」に傍点]というような物の存在を信ぜざるを得ないのは自分が如何にスケプチックであるかという証拠なのである。自分に解らないものを全部否定する勇気のある人の如何に幼稚で無邪気であるかを私は嗤わざるを得ない。自分にはアインシュタインの「相対性原埋」という説が勿論よくわかってはいないが、わからないからといって彼の説が誤謬であるなどといえた義理ではない。
 古谷式の個人即宇宙説からいっても人間は誰でも霊媒になる位な可能性はもっている筈である。しかし、エレメントの結合は森羅万象と共に無限に複雑しているから、「可能性」はあるが、やはりそこには特別な「天才」が存在しているわけである。普通人の聴覚とベイトウベンの聴覚とを同一視するわけにはいかないのである。犬や猫は恐らく人間の所有していない遥かに微妙な嗅覚を持っているに相違ない。
 禅家では無念無想というようなことを常套語に使用しているが、やはり一種のトランス状態に没入した意味だと自分は考えている。そこになにか普通とは異なった心的現象が現われて「悟得」することになるのであろう。問答も常識的に考えると人を馬鹿にした洒落の交換とも思われるが、やはり一種のテレパシイが行なわれるのだと自分は信じている。由来、直覚は天才に付き物ではあるが、これを昔から「霊感」といったのはまことに当を得た言葉だと思っている。偉大なる科学者のすべての大発見や発明も単なる理性の働きによっては決してとげられなかったに相違ない。
 自分は近頃、自分の生まれた「日本」という郷土に生息している「日本人」の正体をハッキリ把んで見たい欲望にかられている。ほんとうにハッキリした「国民性」というようなものがあるかどうか、あれば、それは実際どんな風なものなのであるか、等々に就いてである。勿論、ひどい雑種であることだけはわかって
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