キモチ屋で、ダラシがなく、経済観念が欠乏して、野性的であった――野枝さん。
 しかし僕は野枝さんが好きだった。野枝さんの生んだまこと君はさらに野枝さんよりも好きである。野枝さんにどんな欠点があろうと、彼女の本質を僕は愛していた。先輩馬場孤蝶氏は大杉君を「よき人なりし」といっているが、僕も彼女を「よき人なりし」野枝さんといいたい。僕には野枝さんの悪口をいう資格はない。
 大杉君もかなりオシャレだったようだが、野枝さんもいつの間にかオシャレになっていた。元来そうであったかも知れなかったが、僕と一緒になりたての頃はそうでもなかったようだ。だが、女は本来オシャレであるべきが至当なのかも知れぬ。しかし、お化粧などはあまり上手な方ではなかった。
 僕のおふくろが世話をやいて妙な趣味を野枝さんに注入したので、変に垢ぬけがして三味線などをひき始めたが、それがオシャレ教育の因をなしたのも知れなかった。
 だが文明とか文化というのはオシャレの異名に過ぎない。オシャレ本能をぬきにして文明は成立しないだろう。僕も精神的にはかなりオシャレで贅沢なつもりである。仏蘭西のデカダン等はみなみな然りであった。
 ブルジ
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