でもござれである。
 たとえ文士や芸術家や学者や社会主義だろうがなんだろうが、虫の好かない奴は大キライである。自分と精神的生活の色彩が似ているだけそういう連中にヨケイ嫌いな人間がいるようだ。
 殺された高尾の平公などは僅か二、三度遇ったきりだが随分好きな人間だったから、葬式にも出かけたのだ。僕は彼と社会主義の話なんか一度もしたことはなかった。彼は全体、ボルなのかアナなのだかなんなのだか僕はいまだに一向知らない。知る必要もない。ただ僕は平公という人間が好きだった。
 またパンタライの黒瀬春吉の如きは十年来僕の浅草放浪時代からの親友だが、彼はある主義者にいわせるとスパイなのだそうだが、スパイかアマイか僕は一度も彼をなめてみた事はないが、彼奴はこんどの地震で潰されて死にはしないかと僕は時々心配している。パンタライという名も僕が命名してやったので、千束町にいたヘイタイ虎などと同様――僕にはありがたい友達なのである。デ・クインシイが倫敦で餓死しかけた時、彼を救ったのは少女の淫売婦であったことは僕の名訳『阿片溺愛者の告白』を読んだ諸者はつとに御存知のはずだが、僕が千束町流浪時代に僕に酒を呑ましてく
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