、それから色々な安ホンヤクをやっては暮らした。泡鳴の仕事の手伝いなどもやった。どうして暮らしてきたか今でも不思議な位なのである。
野枝さんはそのうち「動揺」というながい小説を書いて有名になった。僕の長男が彼女のお腹にいる時、木村荘太とのイキサツを書いたもので、荘太君はその時「索引[#「牽引」と思われるが、底本の通りにする]」というやはりながい小説を書いた。荘太君のその時の鼻息はすばらしいもので、その中で僕は頭から軽蔑されているのだ。僕はその時も野枝さんの気持ちを尊重して別れてもいいといったのだが、野枝さんがイヤだというのでやめにしたのである。
染井からあまり遠くない滝の川の中里というところに、福田英子というおばさんが住んでいた。昔大井憲太郎と云々のあった人で、自分も昔の「新しい女」だというところから「青鞜」に好意を持っていたらしかった。ちょうどその時分、仏蘭西で勉強して日本の社会問題を研究にきたとか称する支那人が、英子さんを通じて日本の新しい婦人運動者に遇いたいというので会見を申し込んできたので、一日その中里の福田英子さんのところで遇うことにした。日本語がよく解らないので英語のわか
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