才能を充分にエジュケートするためなのであった。それはかりにも教師と名がついた職業に従事していた僕にその位な心掛けはあるのが当然なはずである。で、それが出来れば僕が生活を棒にふったことはあまり無意義にはならないことだなどと、はなはだおめでたい[#「おめでたい」に傍点]考えを漠然と抱いていたのだ。
キリスト教とソシアリズムを一応パスして当時ショウペンハウエルと仏蘭西のデカダン詩人とに影響せられていた僕は、自然派の人の中では泡鳴が一番好きでスバルの連中が一番自分に近いような気がしていた。しかしその連中の誰をもパアソナリティには知らなかった。
僕の友達で文学をやっている人間は一人もなかった。勿論当時の大家には全然知己もなく、早稲田派でも赤門派でもなんでもない僕は直接にも間接にも文士らしい人物は一人も知らなかった。自分はひそかに尊敬していた人もあったが、その人に手紙を出したこともなく、訪問をしようとする気も起こらなかった。
大杉君が「近代思想」を始め、平塚らいてう氏が「青鞜」をやっていた。僕は新聞の記事によってらいてう氏にインテレストを持ち、「青鞜」を読んで頼もしく思った。
野枝さんにす
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