すめてらいてう[#「らいてう」に傍点]氏を訪問させてみることを考えた。
社会主義が高等不良少年の集団なら、高等不良少女の集団は「青鞜」であった。少なくとも世間の色眼鏡にはそう映じたに相違ない。自然主義、デカダン、ニヒリズム――すべて舶来の近代思想などいうものにロクなものはない。しかし、日本固有の思想は全体どんなものか知らないが、泡鳴流の説なら僕も泡鳴が好きだったから賛成してやってもいいが、およそ思想などというようなものはみんな舶来のような気がしてならない。印度や支那の思想を日本から引き抜いたら、果たしてどんなものが残るのだろう。しかし、およそ思想といったって特別それが珍重されるべきものでなく、同じ人間の頭から生まれてきたのだから、早い晩《おそ》いを論じて優劣などを争うのは馬鹿気ている。いくら借り物だろうが、よければ少しも恥ずかしがらずどしどし[#「どしどし」に傍点]と自分のものにして利用したらばいいのだ。なにも遠慮することはいらない。滑稽なのは昔借りた物を如何にも祖先伝来であるかの如き顔をして、臆面もなく振りまわしている馬鹿がいることだ。そしてそれより遙かにすぐれて進んだ物を見せつけ
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