実を知って、彼女を足蹴りにして擲った。前後、ただ二回である。別れる当日はお互いに静かにして幸福を祈りながら別れた。野枝さんはさすが女で、眼に一杯涙をうかべていた。時にまこと君三歳。
 大杉君も『死灰の中より』にたしか書いているはずだが、野枝さんが大杉君のところへ走った理由の一つとして、僕が社会運動に対する熱情のないことにあきたらず、エゴイストで冷淡だなどとなにかに書いたこともあったようだ。渡良瀬川の鉱毒地に対する村民の執着――みすみす餓死を待ってその地に踏みとどまろうとする決心、――それをある時渡辺君がきて悲愴な調子で話したことがあったが、それを聴いていた野枝さんが恐ろしくそれに感激したことがあった。僕はその時の野枝さんの態度が少しおかしかったので後で彼女を嗤ったのだが、それがいたく野枝さんの御機嫌を損じて、つまり彼女の自尊心を多大に傷つけたことになった。僕は渡辺君を尊敬していたから渡辺君がそれを話す時にはひそかな敬意を払って聴いていたが、また実際、渡辺君の話には実感と誠意が充分に籠っていたからとても嗤うどころの話ではないが、それに対して何の知識もなく、自分の子供の世話さえ満足に出来ない女が、同じような態度で興奮したことが僕をおかしがらせたのであった。しかし渡辺君のこの時のシンシャアな話し振りが彼女を心の底から動かしたのかも知れない。そうだとすれば、僕は人間の心の底に宿っているヒュウマニティの精神を嗤ったことになるので、如何にも自分のエゴイストであり、浅薄でもあることを恥じ入る次第である。
 その時の僕は社会問題どころではなかった。自分の始末さえ出来ず、自分の不心得から、母親や、子供や妹やその他の人々に心配をかけたり、迷惑をさせたりして暮らしていたのだが、かたわら僕の人生に対するハッキリしたポーズが出来かけていたのであった。自分の問題として、人類の問題として社会を考えて、その改革や改善のために尽すことの出来る人はまったく偉大で、エライ人だ。
 僕はこれまで度々小説のモデルになったりダシに使われたりしているが、未だ一回たりともモデル料にありついたことがない程不しあわせな人間である。
 野枝さんのことや、だが僕のことやそんな風のことが知りたい人は、僕のこんなつまらぬ話など読むよりも立派な芸術品になっているそれらの創作を読まれた方が遙かに興味がある。
 生田春月君の『相寄
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