―いやはやとんでもないグチをこぼし始めたが――まったくイヤじゃありませんか!
「羨やましい辻潤」という彼の文章をよんで僕はしみじみと彼の友情をかんじたのだが、ひるがえって、僕は彼に対して果してそれにむくゆる程の友情をもっているかどうかと考えると――まったく自信がなさすぎる。
5
自分はむかしッから、物をもつことがきらいな性分だ。どうしてきらいかというとうるさいからだ。これは自分が無慾だということではなく人一倍物に対する執着が強いせいだ。だから物に束縛されやすい。まったく不自由位世にイヤなものはない。だれだって「自由」がきらいな[#「きらいな」は底本では「きらない」]ものはあるまい。では、どうすれば自分が自由になれるかというと――このコーシャクは少々ながくなりそうだから、この次にするが――結論だけをいうと「絶対の自由」なんかというものは絶対にあり得ないということになる。若しあればそれは極めて消極的なものだ。さて、消極的ということばだが――立場をひッくりかえせば、すぐ積極になる。これは主観と客観ということばの場合と同一でイワユルなんかんてんところてんの相違である。あま
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