え゛りと・え゛りたす
辻潤


 なんのためにフランスなぞへいくのか? 旅行免状にはちゃんと「文学研究」と書いてある。自分は文士だからフランスへ文学の研究に行くのだ―それ以上に私はあまり考えたくはないのだ。
 昔は「洋行」という言葉に恐ろしい価値があってまるで神様の「護符」でも戴くような気持のする時代もあった。猫も杓子《しゃくし》も洋行さえすれば肩で風を切って歩いてもさしつかえないという様な馬鹿気た時代もあった。今ではどうか? 洋行をするとかえって生れた国の時勢に遅れるような気がする位だ。
 自分は少年の時からハイカラでとかく西洋臭いことが好きだった。十五六の時分にはもう一人前のクリスチァンで、横文字の書物にばかり読み耽った。
 内村鑑三先生の「警世雑著」を愛読している時分、ひどく先生の影響を受けて米国のカレッジ熱に浮され、金の問題はそッちのけにしてしきりに入学試験の研究に耽った。昔から、自分の家と深い関係のある或るブルジョアのところへ出かけて洋行費を出してくれと頼みこんだこともあったが、勿論ものにはならなかった。
 武林無想庵と叡山《えいざん》で暮らしている頃、無想庵は私をパリへ連れ
次へ
全8ページ中1ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
辻 潤 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング