なりたくて、学校を中退してパリに連れていって貰った訳であるが、このパリ時代が、彼と辻潤が長時間一緒に暮らした唯一の時代である。彼はルーブルなどで実物の絵に接して、絵描きになることをあきらめた、しかし、戦後自分で書いた略歴に、絵描きのような職業をして現在に至ると書いて居るように、美しい絵を書く画家でもあった。また、すぐれた詩人、文明批評家でもあり、登山、スキー、岩魚釣り、ギターなど多彩な才能を示した人物でもあった。私見だが、辻潤を知るためには、辻一が辻潤について書いた文章は必須のものである。しかし彼は父親辻潤に言及されることを嫌い、その遺言は、辻潤と同じ墓に葬ってくれるなであった。
底本:「辻潤著作集1 絶望の書」オリオン出版社
1969(昭和44)年11月30日初版発行
※表現のおかしい箇所は、「辻潤選集 玉川新明編」五月書房、1981(昭和56)年10月11日初版を参照して訂正した。
入力:et.vi.of nothing
校正:et.vi.of nothing
1999年1月24日公開
1999年9月6日修正
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