う一溜りもなく悄気かえって「洋行」なんぞ問題じゃないのだ。若し私が西洋に行ってホームシックに罹ったとしたら母親や、恋人(ありや? なしや!)のことを考え出すよりも、一番に味噌汁や香ノ物のことに思い到るであろう。
それから、同行の子供のことだが、初めは連れて行くつもりでもなかったが、子供がしきりに行きたがるし、考えて見ると、日本で中学程度の学業を終えたところで自分だけの飯が食えるか食えないかまったくわからないという程の御時勢なのだ。考えるとまったく慄然たらざるを得ない。それに入学試験という児童等にとって世にも恐ろしい難関がある、一体これからの子供達――特に貧乏人の子供達はどうして生きてゆかれるか賢明な御仁に伺いたい位なものでありやす。
幸い私と同行する息子は多少の画才があるので、向うへ行ってまかりまちがえば画描き(になられてはオヤジは実は閉口なのだが)になる可能性がありそうなので、当人の為めには向こうへ連れて行く方がいいじゃないか[#底本「いいじゃいか」を「いいじゃないか」に訂正]という漠然とした気持から連れて行く気になったのだが、もとよりアバンチュールである。しかし、日本にいて銀座
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