ましたのです。源は蒼《あお》ざめた口唇へ指さしをして、物の言えないということを知らせました。
前《さき》の世に恨のあったものが馬の形に宿りまして、生れ変って讐《あだ》をこの世に復《かえ》したものであろう、というような臆測が群集の口から口へ伝わりました。巡査は父親から事の委細を聞取って、しきりに頷《うなず》く。源に何の咎《とが》がない、ということを確めました時は、両親も巡査の後姿を拝むばかりに見送って、互に蘇生《いきかえ》ったような大息《おおいき》をホッと吐《つ》きましたのです。
群集もちりぢりになって、親戚《みうち》の者ばかり残りました頃、父親は石の落ちたように胸を撫《な》で擦《さす》りながら、
「源、お隅はお前の命を助けてくれたぞよ。さあ爰へ来て沢山《たんと》御礼を言いなされ」
源は妻の死骸《しがい》の前に立ちまして、黙って首を垂れました。
底本:「旧主人・芽生」新潮文庫、新潮社
1969(昭和44)年2月15日初版発行
1970(昭和45)年2月15日2刷
入力:紅邪鬼
校正:伊藤時也
1999年12月14日公開
2000年6月27日修正
青空文庫作成ファイ
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