憤《すね》た様子を見せて、後足で源の馬を蹴る。すると源の馬は長い尻尾を振りまして、牝馬の足を押戴くように這倒《はいのめ》る。やがて牝馬の傍へ寄って耳語《みみうち》をすると、牝馬は源の馬の鬣《たてがみ》を噛《か》んで、それを振廻して、もうさんざんに困《じら》した揚句、さも嬉しそうな嘶きを揚げる。二匹の馬は互に踴りかかって、噛合って、砂を浴せかけました。獣の恋は戯《たわむれ》です。
 急に二匹の馬は揃って北の方へ馳出しました。見る見る遠く離れて、馬の背の上に仰《あおむ》けさまに仆れたお隅の顔も形も分らない程になる。不幸な女の最後はこれです。
 やがて馬の姿も黄色い土塵《つちぼこり》の中に隠れて見えなくなりました。

       *     *     *

 源が馬の後を迫って、板橋村の出はずれまで参りました頃はかれこれ昼でした。そこには農夫の群が黒山のように集《たか》って、母親《おふくろ》の腕に抱かれたお隅の死体を見ておりました。源は父親と顔を見合せたばかり、互に言葉を交《かわ》すことも出来ません。海の口村の巡査が人を押分けて源の前へ進んだ時は、群集の視線がこの若い農夫に注《あつま》り
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