ち》がして……気が咎《とが》めてなりゃせん」
「お前はどうかしてるよ。今、爰から帰って何になるぞい。自分の身体が可愛《かわいい》とは思わねえかよ」
「噫、私は死んでもかまわない」
「何? 死んでもかまわない?」と源は首を縮めて、くすくす笑って、「ふふ、馬鹿も休み休み言え。こんな蕎麦も碌々出来ねえような原の上でさえ、見ろ、住んでいる人すら有るじゃねえかよ。奥山の炭焼の烟《けむり》に燻《くすぶ》って、真黒になって、それでも働く人のあるというのは――何の為だ。皆《みんな》、生きたいと思やこそ。自分の命より大切なものが世の中にあるかよ」
と言って、源は板橋村の人家から青々と煙の空に上るのを眺めました。お隅は恨めしそうに、
「貴方は自分の命がそんなに大切でも、他《ひと》の命は大切じゃごわせんのかい。貴方が生きたけりゃ、私だっても生きたい」
「解らねえなあ、何故女というものはそう解らねえだろう。それだによって、己が暗い中から起きて、忙しい手間を一日|潰《つぶ》して、こうしてお前を馬に乗せて、連れて行くとこじゃねえか。命が惜くねえもんなら、誰がこんな思いをして、平沢くんだりまでも行くものかよ」と源
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