っております。右岸に見られるのは、楓《かえで》、漆《うるし》、樺《かば》、楢《なら》の類《たぐい》。甲州街道はその蔭にあるのです。忍耐力に富んだ越後《えちご》商人は昔から爰《ここ》を通行しました。直江津の塩物がこの山地に深入したのも専《もっぱ》らこの道を千曲川に添うて溯りましたもので。
 両岸には、南牧《みなみまき》、北牧、相木、などの村々が散布して、金峯山《きんぷさん》、国師山、甲武信岳《こぶしがたけ》、三国山の高く聳《そび》えた容《さま》を望むことも出来、又、甲州に跨《またが》った八つが岳の連山《やまつづき》には、赤々とした大崩壊《おおくずれ》の跡を眺《なが》めることも出来ます。この谷の突当ったところが海の口村で、野辺山が原はつい後に迫っているのです。海の口村は、もと河岸に在りましたのが、河水の氾濫《みなぎ》りました為に、村民は高原の裾《すそ》へ倚《よ》って移住したとのこと。風雪を防ぐ為に石を載せた板葺《いたぶき》の屋根を見ると、深山の生活も思いやられます。この辺に住んでおりますのが慓悍《ひょうかん》な信州人でして、その職業には、牧馬、耕作、杣《そま》、炭焼――わけても牧馬には熱心
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