貼《は》って、うるんだ目付をして、物を思うような様子をして、へえ前の処女《おぼこ》らしいところは少許《ちっと》もなかった。私があの子を見ると、罅痕《ひびたけ》の入った茶椀を思出すと言ったは、こういう訳でさ。君もその番人の顔が見たいと思うでしょう。なんなら大屋の停車場へ序《ついで》に寄って見給え。今でも北の踏切のところに立って、緑色の旗を出して……へへへへ」
「先生、もう沢山」
と源は銀貨をそこへ投出して置いて、鹿の湯を飛出しました。
参
さすがに母親《おふくろ》は源のことが案じられて堪りません。海の口村の出はずれまで尋ねて参りますと、丁度源が鹿の湯の方から帰って来たところで、二人は橋の頭《たもと》で行逢いました。母親は月光《つきあかり》に源の顔を透して視て、
「お前《めえ》は、まあ何処へ行ってたよ。父《とっ》さんも何程《どのくれえ》心配していなさるか知んねえだに。私《わし》はお前を探して歩いて、どこを尋ねても――源さは来なさりゃせんとばかり。さあ、私と一緒に帰りなされ」
それは静かな、気の遠くなるような夜でした。奥山の秋のことですから、日中《ひるなか》とは違いましてめっきり寒い。山気は襲いかかって人の背《せなか》をぞくぞくさせる。見れば樹葉《きのは》を泄《も》れる月の光が幹を伝って、流れるように地に落ちておりました。なにもかも※[#「※」は「もんがまえ+貝」、89−5]寂《ひっそり》として、沈まり返って、休息《やす》んでいるらしい。露深い草のなかに鳴く虫の歌は眠たい音楽のように聞える。親子は、黄ばんだ光のさすところへ出たり、暗い樹の葉の蔭へ入ったりして、石ころの多い坂道を帰って行きました。
「そいッたっても、馬鹿な子だぞよ」と母親は萎れて歩きながら、「お前、お隅の父親《おやじ》さんも飛んで来なすって、医者様を呼ぶやら、水天宮様を頂かせるやら、まあ大騒ぎして、お隅も少許《ちったあ》痛みが治ったもんだで、今しがた帰って行きなすった。女の身体というものは、へえ油断がならねえ。あれで血の道でも起ってからに、万一《もしも》の事が有って見ろ。これが巡査《おまわり》さんの耳へ入《へい》ったものならお前はまあどうする気だぞい――痴児《たわけ》め。
忘れたかや。お前にはお梅さという許婚《いいなずけ》があったからしてに、父さんはお隅を家へ入れねえと言いなすったのを、お前がなんでもあの子でなくちゃならねえように言うもんだで、私が父さんへ泣いて頼むようにして、それで漸《やっ》と夫婦になった仲じゃねえかよ。お隅を貰《もら》ってくれんけりゃ、へえもう死ぬと言ったは誰だぞい。
私はお前の根性が愍然《かわいそう》でならねえ。私がよく言って聞かせるのは、ここだぞよ。お前は独子《ひとりっこ》で我儘《わがまま》放題に育って、恐いというものを知らねえからしてに――自分さえよければ他はどうでもよい――それが大間違だ、とよく言うじゃねえかよ。お前の父さんも若《わけ》い時はお前と同じ様に、人を人とも思わねえで、それで村にも居られねえような仕末。今すこしで野たれ死するところであったのを、漸《やっ》と目が覚めて心を入替《いれけ》えてからは、へえ別の人のようになったと世間からも褒められている。その親の子だからしてに、源さも矢張《やっぱり》あの通りだ、と人に後指をさされるのが、私は何程《どのくれえ》まあ口惜《くやし》いか知んねえ」
と母親《おふくろ》は仰《あおむ》きながら鼻を啜《すす》りました。
ややしばらく互に黙って、とぼとぼと歩いてまいりますと、やがて蕎麦畠《そばばたけ》の側《わき》を通りました。それは母親と源とお隅の三人で、しかも夏、蒔《ま》きつけたところなんです。刈取らずに置いた蕎麦の素枯《すがれ》に月の光の沈んだ有様を見ると、楽しい記憶《おもいで》が母親の胸の中を往ったり来たりせずにはおりません。母親は夢のように眺《なが》めて幾度か深い歎息《ためいき》を吐きました。
「源」と母親は襦袢《じゅばん》の袖口で※[#「※」は「めへん+匡」、90−11]《まぶた》を拭いながら、「思っても見てくれよ。私もなあ、この通り年は寄るし、弱くはなるし、譬《たと》えて見るなら丁度|干乾《ひから》びた烏瓜《からすうり》だ――その烏瓜が細い生命《いのち》の蔓《つる》をたよりにしてからに、お前という枝に懸っている。お前が折れたら、私はどうなるぞい。私の力にするのはお前、お前より外には無えのだぞよ」
老の涙はとめどもなく母親の顔を伝いました。時々立止って、仰《あおむ》きながら首を振る度に、猶々《なおなお》胸が込上げてくる。足許の蟋蟀は、ばったり歌をやめるのでした。
源は無言のまま。
「父さんの言いなさるには、あんな薮《やぶ》医者に見せたばかりじゃ安心ならねえ。平沢に骨
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